著作権侵害というかその辺のお話

秒刊SUNDAYの「もうCD買わなくていい!フリーの音楽共有サイト集45個」というエントリを読んで、何ともいえない気持ちになった。

ipodiPhoneポッドキャスティングはますます世の中に普及しだし、音楽をネット上で買うなんてことはよくあることですが、なんとそんな金を払わずとも音楽をGETできてしまうサイトが45種類もあるので紹介します。
※注意:ここで言うフリーとは、著作権フリーではなく無料で利用できるという意味合いです。お間違いのないようご理解申し上げます。

| ^^ |秒刊SUNDAY | もうCD買わなくていい!フリーの音楽共有サイト集45個

という感じで、45の音楽ダウンロードorストリーミングサイトを紹介している。そのラインナップはさまざまで、違法行為が含まれるダウンロードやストリーミングを提供するサイトから、私がお勧めしているJamendoのようなCCライセンスの下でアーティスト自身がコンテンツを提供するサイトまである。

最初に紹介されたサイトを見てみた

いきなり最初に紹介しているサイトからして、既に違法行為が含まれている。このサイトは、BaiduのMP3サーチよろしく、ネット上に存在する違法にアップロードされた楽曲のダイレクトダウンロードを提供している。
もちろん、サイトとしてはダウンロードリンクを提供しているだけで、違法に楽曲をホストしているわけではない、と主張するだろうし、ダウンローダーはダウンロード行為は違法ではない、と主張するだろう。個人的には複雑なところではあるが、そういった余地が残されていること自体は否定されるべきではないと思っている。ただ一方で、楽曲のアップローダーはおそらくほとんどの国で違法行為を行ったとされるだろう。
サイトやダウンローダーにとって法的脅威がないといっても、そのサービスが現実に機能する*1ために違法行為が関わっているという状況は、望ましいとは思えない。少なくとも、こうしたサービスを支えているのは、世界のどこかで違法にアップロードされたコンテンツである。
もちろん、原理的に考えれば、そうしたサービスであっても合法的な用途があるのだから、といえるだろう。The Pirate BayなどのBitTorrentサイトもそう主張する。そういった主張が通るのかどうか、という点は未だ明確に判断が下されていない部分もあるし、私個人としてもそういった余地が残されないこともまた問題であるとは思っているが、現実として海賊行為を促進する一因となっていることも否定できない。
なので、私としては一定の余地を残すべきだとは考えているものの、現実として海賊行為を促進しているようなサービスは推奨しない方がよいと思っている。もちろん、これは個人としての意見であって、法に違反しているんだ、とかいう話じゃない。ただ、ある意味ではこうした余地を利用して海賊行為を促し*2つつ、建前として、こうした海賊行為が意図せず混じり込んでしまっているのだと言い訳をするようなサイト/サービスを支持しつづけたとしても、その先には、より厳しい制限を求める声が待ち構えているだけではないだろうか*3

余地を残すために

余地などというと少し曖昧かもしれない。もう少し具体的に言うと「責任の範囲」と換言することができるだろう。
サイト/サービスという側面から考えると、BitTorrentサイトであれ、YouTubeであれ、2ちゃんねるであれ、ブログサービスであれ、ユーザに一定の自由を与えるサイト/サービスを運営する以上、そこにある種の違法行為が含まれることは避けられない。しかし、そういった違法行為を完全に予防しなければならないとしたら、ほとんどのサービスが存続できなくなるかもしれない。
私は、サービス提供者がある一定の範囲での責任を負っていれば、それ以上のことはその行為者であるユーザに直接責任を問うべきだと思っている。しかしそうなると、その「一定の範囲の責任」という部分が問題となる。どこまでの責任を果たせば良いのか、ということは未だに1つの問題として侃々諤々やられているし、そうした議論は活発に行われるべきだと思う。少なくとも、現状のままで良いというのは1つの考えにすぎない。
たとえば、米国であればDMCAに従い、違法なコンテンツは指摘があり次第削除している、だから問題はないだろう、という主張がある。確かに私もそう思うところもある。ただ、問題はないといっても、「法的に問題はない」、そして「今のところは問題はない」のである*4
前者の意味するところは、たとえ法的に責任を問われないのだとしても、著作権侵害が生じているという問題はどこかへ行ってしまうわけではないということ。つまり、著作権侵害の問題が生じている以上、それは問題視されるということである。
そして、後者の意味するところは、現在の責任の範囲において、それを逆手にとったやり方で著作権侵害が横行しているのであれば、それは改善されるべきだと声を上げる人たちが出てきてもおかしくはない、ということ。つまり、サービス提供者の責任の範囲を拡大せよ、と。
こうした責任の拡大は、直接的にユーザに向けられることもあるし、サービス提供者に向けられたことで、間接的にユーザを束縛することもある。だから、私もそうした方向性にはしばしば反対するところではあるのだが、かといって、そうした問題を解決しなくてもよいなどとは思えない。少なくとも、著作権侵害が横行するような状況は改善すべきだと思う。
おそらく、ゼロにはできないだろうし、目標をゼロとすることは多くの弊害を生み出すとは思う。ただ、少しでも減らすための努力というのは必要になる。それは権利者たちだけが叫び、改善に向けて努力をするというものではなくて、サービス提供者も、ユーザも同様に問題を共有し、努力すべきことなのだと思う。

サービス提供者、ユーザがすべきこと

サービス提供者側の努力としては、最低限度の責任を果たすだけではなく、自主的に著作権侵害を防ぐための取り組みをしなければならない。たとえばYouTubeは画像識別に基づくフィルタリングを導入しているし、ニコニコ動画でも著作権侵害コンテンツの排除を宣言している。依然として精度の問題やフェアユースの問題*5はあるのだろうが、その取り組みは著作権侵害を減らす一助とはなりうる。そうした取り組みをしてこそ、我々は自らに課せられた責任の範囲を超えて、著作権侵害を抑制するための努力をしている、と強くいうことができるし、そうした発言に説得力を持たせることができる。少なくとも、法によって強制的に責任の範囲を拡大せんとする動きを、いくばくかは抑制できるかもしれない。
一方のユーザ側の努力としては、現状の責任の範囲を逆手に取ったサービスを利用しない、ということがあるだろう。たとえば、メジャーレーベルからレコードをリリースしているアーティストの楽曲が、怪しげなサイトを経由して合法的に無料で手に入るなどということが、現実としてありうるのかというと、ほとんど考えられないだろう。それは音楽に限らず、映像コンテンツのデッドコピーも同様である。もちろん、その区別がつかないままに利用していたら*6、実は著作権侵害に関わっていたり*7するかもしれないし、サービス全体としてみたときに、一部で違法な利用のされ方がなされているということもあるだろう。ただ、そうした状況においても、著作権侵害に関連していそうだ、と認識されるコンテンツに関しては、意識的に触れないほうがよいと思う*8
少なくとも、結果として大量の著作権侵害が生じていながらも、自らの責任の範囲にはないことだと何ら対処を考えないようなサイトやサービスというのは、現行の著作権の概念に反発するよほどの確信犯か、短期的にイージーマネーを手に入れたいだけの連中なんじゃないかと思える。おそらく、前者の人々にとっては最悪の帰結として、後者の人々にとっては当然の帰結として、将来的に責任の範囲の拡大が生じうることは予想していることだろう。私はユーザとしてそれに付き合わされるのはごめんだ。
また、P2Pファイル共有であれ、ビデオ共有サイトであれ、Web割れであれ、そこでコンテンツを違法にアップロードするのは一部のユーザである。そうした行為も抑制されるべきだろう。こうした行為の先に、望ましい状況が待っているとは決して思えない*9
さらに、そうした著作権侵害に関連した行為にかかわらない、という一方で、ユーザは総体として合法的かつ望ましいと思えるサービスへの投資を行うべきだとも思う。投資というよりは、リソースの提供というところだろうか。それに関しては、次のエントリで考えてみたい。

*1:成功を続ける

*2:または、利用し

*3:主張としてはしばしば興味深いものもあるので追いかけ続けているところもあるが

*4:もちろん、これは現状では裁判において争われるべきところだろうから、あくまでも私の意見として。ただこうした主張は、Google vs. ViacomGoogleが主張していることでもある。

*5:米国であれば

*6:実際に、YouTubeなどを見ていても、ショートムービーなどはアップローダ自身が権利を持っているのか、それとも勝手にアップロードしているのかという部分が判断できない場合がある

*7:ダウンローダor視聴者として責任を問われるものではないにしても

*8:なお、ここでいう著作権侵害とは、著作物のデッドコピーまたはそれに類するものであり、二次創作やフェアユース的な利用を含むものではない。個人的には、創作のための二次的な利用やフェアユースは、多様な文化を醸成するために必要なものだと感じており、そうした利用は法によって認められるべきだと考えている。では、そうした利用が許諾を得ない場合には認められていない現状において、そうしたコンテンツをどう考えればよいのか、というと、これだけ偉いことを言っておきながら、私にもわからないところである。確信犯的な考えでは、どんどんやって既成事実を作ってしまえ、と思うところもあれば、法によって認められていないものであるのだから、今は控えた方がよいと思うところもある。悩ましいところではあるが、法が許すまでは、改変を許すライセンスにて提供されるコンテンツを利用する、という方向に向かうことが望ましいという考えに収束しつつある。

*9:好意的にとらえれば、そうした行為は当初はオンラインでのコンテンツへのデマンドを示す指標となりえたかもしれない。しかし、それは既に十分に伝わっているはずである。