テレビの未来:プライオリティの高い情報とは何なのだろうか?

 確かにテレビは広く一般大衆を相手にしなければならない宿命から、番組も質の格差を含めて多様なものを提供せざるを得ないのだろうが、最大公約数的「大衆」というマーケットが消失しつつある現在、放送型メディアは、どのようにしてユーザーひとりひとりの個別要求に応じることができるのだろうか。

 コンピューターとネットワークの組み合わせは、まさに「オン・デマンド」のために生まれて来たメディアであり、目的を持って積極的に情報を探すユーザーに適したメディアなのである。現在の公共放送型のテレビがこれに太刀打ちできないのも仕方がない。

 出張中に、一日の仕事を終えてホテルに戻り、部屋で何気なくテレビのスイッチを入れる。その結果しょうもない番組をダラダラと眺めてしまい、貴重な時間を無駄にした自分に激しく落ち込むこともかつては多かった。

テレビの未来 - 石井裕の“デジタルの感触”

我が家にもテレビはなく、主に眺めているのはPCのディスプレイというデジタル脳な私ではあるが、こうした考えにはそれほど賛同できるわけではない。
たとえテレビでインターネットを介したオンデマンドな配信が可能となっても、テレビ視聴者ってそれほど能動的に番組を見ているわけじゃないと思うんだよね。ほとんどがなんとなく、その時間をそれなりに楽しめるものが流れてくればいいなって感じで。だから、常にホームランを狙わなくても、シングルヒットや内野安打程度でそれなりに満足できるものなのかもしれない。
一方で、オンデマンドで提供されるコンテンツってのは、かなり目的的なもので、それこそホームランじゃないと満足感は低いだろうし、能動的であることはコンテンツの探索がシビアになるということでもある。そして、そのようなシビアな探索はユーザにとってコストを要するものであり、面倒な作業でもある。そして、致命的なことに日常生活とのマルチタスキングが難しいのだ。
個人的には、ユーザにとって必要なのは、いくつかの明確な選択肢と、+αの選択肢なんだと思う。受動性が担保されている状態だからこそ、能動的に探索を行いたいと思うのではないかなと。「目的を持って積極的に情報を探すユーザーに適したメディア」であれば、積極的に情報を探すユーザにとって最も有効なメディアなんだろうとは思う。ただ、現実にその層がどの程度いるか、ってことを考えないといけない。インターネットなんて、意識的にせよ無意識的にせよ、非常に情報目的的な利用の繰り返しであって、そういう環境に慣れた人にとっては、能動性こそ重要なのかもしれないけど。
テレビ放送が「受動的なデマンド」を押さえている限りは、やはりテレビ放送がテレビの主役って感じだと思う。もちろん、ザッピングの代わりにVODコンテンツを探したりするようになれば、テレビ放送にとってオンデマンド性は脅威となりうる存在だとは思うけど、ただ、そのテレビというハードウェアの主役の座が代わるというほどではないんじゃないかな。とりあえず、近い未来は、ね。

「テレビがない家庭があるなんて理解できない。この文明社会に生きている人間ならば、何故テレビを見ないのですか」と、彼らに真顔で問いただされてしまった。
 しかたなく、私は「未来へようこそ」と答えて、ほほ笑んだ

テレビの未来

未来の人たちが、目的的に収拾しなければならない情報とは何なのだろう。