ネット流通における日米の違いは国民性だけの問題かしら?

いやそう考えるとアメリカ人というのは、無法地帯から秩序を回復する方法を、体で知っているなぁと思う。日本はなんだかんだ言って、安全な国なのだ。無法地帯に対する耐性がほとんどないから、国家権力を投入して統制しようとする。日本国民も滅私奉公が長い間通用してきたで民族だから、それはそれでうまく機能するのかもしれないが、国際社会としてはかなり異端な国の形のままであり続けるだろう。それは果たして、日本らしいということでOKなのか。もう少し考えてみたい。

ネット流通に対するスタンス - コデラノブログ 3

この辺のこと、特にビデオ配信において日米の違いがどういうところに起因して現れているのだろうと、しばしば考えたり、意見をもらったりしているのだけれども、私なりの1つの結論としては、産業構造の違いにあるのかなと思ったりする。
取り立てて確信に満ちているとか、確固たる証拠があるんだというわけではないのだけれど、その原因の1つには、巨大メディア企業の存在があるのかなと思う。たとえば、CBSなどはViacomの傘下にあるし、NBCNBC Universalの傘下にある。それぞれのネットワークだけを見れば、その主戦場は放送にあるのだけれど、それが親企業であるメディアカンパニーからすれば、1つのメディアを扱っているに過ぎない。別の有力なメディアが登場すれば、そちらを利用するべきと考えるのも自然なことかなと。親会社の意向がWebを向いていれば、傘下にある企業もそれに従うことになるだろう。
個人的には国民性や制度的な違いもあるとは思うのだけれども、それ以上にスケールの違いでもあるような気がする。そしてその米国においても、当初からWebに積極的だったかというとそうではなく、音楽産業なんかはその消極性ゆえに未だに失敗例の典型のように挙げられている。もちろん、積極的であれば成功していたかどうか、ということもわかりようはないのだけれど、当初の立ち回りの悪さゆえに、Appleの掌から抜け出すためには、Amazonの参入とその成功を待たなければならなくなっている。
そういった生きた事例があるからこそ、いまだ暗中模索にありながらも、Webで成功する方法を模索しているともいえるのではないかなと。

メディア・コンバージェンス2007

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