やさしい社会が「冷淡な傍観者」を生んでいるのか

〈たとえば、現代人が恥をかかせてしまうことにそれほど慎重でなければ、多くの乗客が「何をしてるんだ?」と容疑者に干渉していたでしょう〉

 根底にあるのは、失敗をおそれるがゆえに何もしないでいる、そんな「予防的なやさしさ」の浸透。隣家で殺人事件が起きても、通報が遅れたりするのも、著者の論をあてはめてみると、「都会の無関心」と片付けてしまうよりも、説得力があるように思えるのだ。

"“やさしい”から、席を譲れないんです〜『ほんとうはこわい「やさしい社会」』森真一著(評:朝山実) (毎日1冊!日刊新書レビュー):NBonline(日経ビジネス オンライン)"

いろんな要因が考えられるのも事実なんだけど、こうした予防的な「やさしさ」っていう風に説明しちゃうのも、なんだかコマーシャルな感じがしないでもない。もちろん、そういうところもあるんだろうけど。
なぜ、人は手を差し伸べないのだろう、という説明でもっともしっくりくるのが、ラタネとダーリの傍観者効果。

冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学

冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学

  • 作者: ビブラタネ,ジョン・M.ダーリー,Bibb Latan´e,John M. Darley,竹村研一,杉崎和子
  • 出版社/メーカー: ブレーン出版
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 単行本
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  • 多元的無知 - 他者が積極的に行動しない事によって、事態は緊急性を要しないと考える
  • 責任分散 - 他者と同調する事で責任や非難が分散されると考える
  • 評価懸念 - 行動を起こした時、その結果に対して周囲からのネガティブな評価を恐れる
"傍観者効果 - Wikipedia"

こうした要因が重なって、冷淡な傍観者とも思える行動(何もしない、という行動)をとりうる。上記の文脈で言われているやさしさとは、評価懸念のことなんだろう。
ただ逆に言えば、誰か一人でも動けば、少なくとも助ける必要があるのかなと思いつつ傍観者となっている人々が動くきっかけとなる。また、その場にいるのが自分1人だけであれば、積極的に援助行動を行ったりもする。
一方、それは他人が助けを求めている、助けを必要としているときにだけ働くものではない。たとえ自分自身に危機が迫っていたとしても、他の人の行動の観察の結果、本来であれば避難行動をとるのが当たり前の状況でも、そうしないということが起こりうる。自らに降りかかっている危険ですら、傍観してしまうのだ。

2003年2月18日午前9時53分、通勤ラッシュが一段落したした韓国・大邱(テグ)市、中央路(チュアンノ)駅で地下鉄放火事件が発生しました。この事件で約200人の尊い人命が奪われてしまいました。事件後新聞などで公表された中に、地下鉄車内で乗客が出火後の状況を写した写真(左)がありました。煙が充満しつつある車内に乗客(10人くらい)が座席で押し黙って座っているという不思議な写真でした。

"リスク心理学、正常性バイアス、多数派同調バイアス、非常呪縛、Emergency spell、"

煙がもうもうと立ち込めた状態にあってなお、誰一人避難行動をとろうとしない、こうした状況の力というのは、決して自分に優しく他人に無関心、といわれている風潮とは別の要因として強力に働いてもいるのである。むしろ、他人の行動こそが自らの行動の基準になる、という状況もある。
「影響力の武器」の著者でもあるロバートチャルディーニは、規範の影響は2つに分けられると考えている。社会一般でそうするべきだと明確に定められているような規範(たとえば道徳的な規範)を「命令的規範」とし、人はそれに従って行動するよう期待されていると考えている。その一方で、その状況において支配的な規範として、命令的規範に関係なく、他の人がどう行動しているか、他の人の行動の結果、状況がどのような状態にあるかということもまた、人々の行動を規定する規範であるとし、それを「記述的規範」と呼んだ。
たとえば、ごみがたくさんポイ捨てされている空間、そこでゴミを手に一人歩いているとする。一般的にごみをポイ捨てすると行為は望ましくないと思われているが(命令的規範)、その状況がごみを捨てることを許す(と考えられる)状況であれば(記述的規範)、人はごみをポイ捨てする誘惑に負けてしまう傾向にある。その一方で、ゴミ1つないきれいな空間であれば、その状況はゴミを捨てることを許してはいない状況であるため(記述的規範)、ポイ捨てをせずゴミを持ち帰る傾向にある(ちなみに、この実験は面白いところがあって、ゴミが0個のときよりも、ゴミがたった1個だけ落ちていたほうが、ゴミは捨てられにくいのだという。なぜかは考えてみてくださいな)。
それは他の人がどう振舞っているかが自分自身の行動に強い影響力を持つということでもある。もちろん、上記のポイ捨ての話は、他人がいるときにはまた話がややこしくなってくる。他人の存在が命令的規範への喚起を強めたりもするし、またその人の行動次第では、状況的規範をも作りだす。周りに人がいればポイ捨てはしにくいかもしれないが、その人がポイ捨てをしたところを目撃すれば、その人に遠慮なくポイ捨てができるだろう。
まぁ、そう考えると現代社会に起因したさまざまな行動、ともすれば現代の病理とも言われているものが、実際には人間本来の行動特性に基づいたものだった、ということだってある。確かに評価懸念は現代社会にあって非常に高まっているであろうとは思われるけど、それだけですべてを説明しうるものではないよ、ということも考えてほしいのよね。

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか

この本は、人と対面で関わる仕事をしているすべての人にお勧めしたい本です。あとは、だまされたくないぞ、と言う人にも。