二次創作の機会と場を提供するだけで人があつまるわけではない

手塚治虫のあらゆる創作物を、期間限定で合法的に二次利用可能とし、広く一般から作品を募るという超画期的な試みが「人知れず」行われている。
経済産業省の委託により、日本動画協会と映像産業振興機構が共同で立ち上げた「オープンポスト(OpenPost)」というコンテンツ投稿サイトプロジェクトだ。
この試みが本来社会に与えるべきインパクトのデカさが、世間に全くと言っていいほど伝わってない。

音極道茶室: 手塚治虫の「全作品」が合法的に二次利用可能という画期的試みもスルーされまくりという日本の悲劇

音極道の人は、この原因を告知宣伝不足と投稿規程のわかりづらさにあると考えているみたいだ。
ただ、私はこのOpenPostを知っているし、おそらく多くの人が知っている、もしくはその記事を目にしたことがあると思う。
そのときの記事がこれ。

 「アニメの2次創作、権利者と一緒にビジネス化しませんか」――アニメ製作会社の団体・日本動画協会は今秋、こんな趣旨の企画「アニメ・チャレンジオーディション」を行う。著作権をがっちり守りながらビジネス展開してきたアニメ業界にとって、2次創作を広く許諾するという試みは異例だ。

“コミケの力”をアニメにも――“権利者公認”2次創作の祭典 (1/2) - ITmedia News

 加えて、手塚治虫作品の2次創作を募集するサイト「OPEN POST」も11月にオープン予定だ。手塚漫画やアニメ、設定資料などを無償公開して2次創作を投稿してもらうサイトで、ユーザー同士で作品を評価する仕組みを備えるほか、権利者側でも作品をチェック。クオリティーが高いものについては商品化を検討する。
 「『(アニメ作品を)絶対使っちゃだめ』と囲わず、ちょっと開放してみれば、そこから新しい才能やビジネスが発掘できるかもしれない」――動画協会事業委員会委員長で、手塚プロ著作権事業局の清水義裕局長は期待する。
 発想のきっかけは、昨夏初めて訪れたコミケだった。「コミケには“グレートマイナーパワー”が集まっている」

とこんな感じで既に紹介されていたし、200以上のブクマも集めている。決して知らなかったというわけじゃないと思うんよ。
ただ、問題になるのはその反応。一方ではこうした試みを肯定的に捉え、より二次創作に門戸が広がったと高く評価しているのだけれど、もう一方では管理された二次創作に対して否定的に捉え、逆に既存の二次創作が抑制されてしまうのでは?権利者による検閲か?という懸念の声もあった(この辺の意見についてはカジ速2chスレをまとめている)。
個人的には、OpenPostは広報不足というよりも、最初の、そしておそらく二次創作者達に対する最大のパブリシティーにおいて失敗したんじゃないかなと思う。アニメ!アニメ!のインタビューを見る限りでは、結構いいこと言っていると思うんだけどね。
ただ、OpenPostの最大の失敗(というのは申し訳ないのだけど)というか限界は、結局のところ、OpenPostという限られた空間でしか表現(公表の意)できず、さらに二次創作のフィールドがテーマ作品に限られてしまうということじゃないかと。だから、ここに投稿するという人は、あまり人目に付かなくてもかまわない!とにかく手塚作品を利用して二次創作がしたい!という人に限られちゃうわけで。もしくはガチで商品化を狙って、自分の作品を世に知らしめたい人か(商品化って言っても、投稿している人はお金が動機じゃなさそうだけど)。
もちろん、権利処理上の問題で二次創作者といえども自分の作品をここ以外で公開してはいけないってのは理解できるんだけど、創作者としては魅力が半減というところなのかもしれない。しかも、このOpenPostを見ているユーザ自体が少ないわけで、なかなか二次創作者を惹きつける要素がない。
結局、盛り上がりに欠けることが更に利用を冷え込ませる。利用者がいなければ、創作者はそこに作品を投稿しようとは思わないし、創作者が少なければ、利用者はそこに行こうとは思わない。
少なくとも、創作者であれ、利用者であれ、多くの人に利用してもらうためには、サービスをより広範囲に広げなければならないだろう。わかりやすい、そして極端な例で言えば、ニコニコ動画(とその職人達)とコラボレートするとかね。ニコ動は極端だとしても(著作権管理上大変そうだし)、他の人の集まるプラットフォームとのコラボレーションがないとなかなか人は集まらないんじゃないかな。二次創作の類で言えば、ちょっと探すだけでも朝目新聞といったOpenPostの趣旨に合致しそうなサイトもあるわけでね。著作権管理上問題があるなら、画像ファイル、映像ファイルをコラボサイトにホストさせず、Flash Playerでエンベッドしてもらうことだってできる。
でもって、OpenPost自体のコラボレーション企画も、お行儀がよすぎるというか無難すぎるという感じがする(箱キャラ、やわらか戦車吉崎観音)。もちろん、PLUTOのようなシリアスで強烈な化学反応を、ってのは難しいとしても、もっと刺激的というか冒険的なものがあってもよかったんじゃないかと。また極端なことを言うと、漫☆画太郎先生や荒木飛呂彦先生に(商品化とは別に)手塚治虫キャラクターのイラストを依頼するとか、それくらいスキャンダラスなことをして二次創作者を挑発し、利用者を楽しませる、そうでもしない限り、この機会を利用し、楽しむ人はそれほど現れないだろう。

しかしこの素晴らしい試みが惨憺たる状況のままで終わって欲しくない。うまくすると「良質な二次創作」がいかに「創造力と才能」を要求されるか、を世に知ってもらうチャンスでもある。

音極道茶室: 手塚治虫の「全作品」が合法的に二次利用可能という画期的試みもスルーされまくりという日本の悲劇

うん、試みとしてはかなり冒険的だし、素晴らしい化学反応があるかもしれない。ただ、そのための土壌作りの点でうまい戦略が立てられていないかなと思える。Web上での創作活動、これは単に場所を与えるだけでは成り立たないものだろう。Web上では、創作者と利用者双方に利用してもらうための試みが日夜しのぎを削っている。例えば、ブログサービスやSNSだってそう。利用者に、書き手にいかにしてアプローチするか、それに苦心している(サイトの作り1つのしてもそう。お世辞にもOpenPostのサイト構成は見やすいものじゃなかった)。
二次創作ブーム、といっていいのかわからないが、そういった潮流があるのも事実。ただ、単に機会を提供すればそれに乗っかることができるというほど、簡単なものではないと思う。大きなうねりの中に身をゆだねるか、それとも膨大なリソースを投入して潮流から離れたところで新たなムーブメントを起こすか。どちらにしても成功の保証などないのだけれど。

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

このエントリの続き、というわけではないのだけれども、上記岡本太郎の「今日の芸術」から、二次創作と模倣について考えてみたいと思います。
二次創作は模倣に過ぎないのか?:岡本太郎が突きつけた挑戦状 - P2Pとかその辺のお話@はてな