どこまでやって良いのか、という著作権教育も必要だよね

本当に違法なことなら「できない」と明確に答えるべきだが、必ずしも違法とはいえないことまで、後ろ向きな回答が目立つ。著作権法は本当にそんなにネガティブなものなのか。
(中略)
法律が禁止事項を定めるのは、手段なのである。禁止された行為が行われないことによって、人々は安心して暮らすことができる。そして、禁止されていない行為は確信を持って自由に行える。そういう自由な社会にすることが真の目的なのだ。
(中略)
法律家の仕事は、「やってはいけない」行為が列挙されている法律を、「これはできる」や「こうすればできる」に翻訳することだ。「できない」を「できる」に的確に翻訳できるのが真の法律家なのである。

著作権法をポジティブに

法律家として、「やってはいけない」ではなく、「どうすればできるか」を提案しましょう、という趣旨の記事なのだと思うが、私も同感。その中で子供たちへの教育についても語られていたのだけれど、記事の制約上少し触れる程度の内容となっている。なので、どういったことを考えているのかなというのを想像しつつ、私の考えも含めて視覚的にわかりやすく考えてみる。

著作権に対する理解


実際にはこんな直線的なものではないのだが便宜的に。著作権に対する人々の理解を簡単にいってしまえば、「できること」「できないこと」がはっきりしている部分があるが、「よくわからない」「あいまい」な部分が大きいようにも思える。もちろん、ここには良いと思っていてやっていることが実はダメ、ダメだと思ってやってはいないが実際には問題ない、というケースが存在するだろう。
もちろん、この辺は個人の範囲であればそれほど大きな問題にはならなかったのであろうが、デジタルコピーや情報発信が誰にでも可能となりつつある現状においては、問題となるケースもしばしばある。

著作権に関する「やってはいけない」教育


これは認められていないのでやってはいけません、というのは「何をしてはいけないか」ということは教えられる。曖昧に思っていたところも、多少は晴れるかもしれない。

それでも曖昧さが残るのは…


ただ、そうした教育では「やってはいけない」ことがわかったのみで、どこまでやって良いのかがわからない。著作権の問題はケースバイケースであることも多く、かつ慣習的な問題も存在する。ビジネスの場面でも、日常の場面でも。
ここ数年で、やけに著作権が厳しくなった、うるさくなったと感じる人は少なくないだろうが、ではこれまで慣習的にアリだと思っていたことが本当に「やっていい」ことなのか、そこが依然として曖昧なままである。それはダメだと言われ続けても、消去法でしか判断できず、「やっていい」ことが明確にはわからないケースもでてくるだろう。たとえば

店の中に、市販しているものを置いたり、飾ったりしたら、著作権法違反になりますか?

Yahoo!知恵袋

おそらくこの方は、映像、音楽などを勝手に流してはいけないとは思っているだろう。ただ、それ以外ではどういったものがダメなのかがよくわからない、裏を返せば何なら「やっていい」のかがよくわからないのだろう。もちろん、著作物とは何か、というところから知らなければならないのだが。

著作権に関する「やっていい」教育


ならば、どこまでやって良いのかという点についても明確に教えることも重要だと思う。日本で言えば「無断引用」という言葉が用いられることがしばしばあり、引用が法的に認められた「やってもいい」ことという考えが共有されていないことが示唆される。もっとも、転載と引用を混同しているケースが多かったり、メディアの側も誤用することがあるせいでもあろうが、少なくとも引用という言葉自体をよく理解できていないといえる。それは、無知な人が悪いという意味ではなく、依然として「やってもいい」ことが周知されていないという意味で。
一方、米国でも同様に「やっていい」ことが理解されていないがために、問題が生じているケースもある。昨年、Center for Social Media at American Universityが発表したレポート(PDF)によれば、教師に対するフェアユーストレーニングの欠如により、教育現場でフェアユースの範囲内で著作物を利用することをためらう教師が少なくないと指摘されている。

「やっていい」教育の欠如の問題

少なくとも「やっていい」教育の欠如は、上述した質問にあるような、その個人にとって悩ましい著作物利用のケースでの判断を、その個人の考えにゆだねてしまうことになる。たとえば、これくらいはOKでしょ、と考えればたとえ著作権侵害であっても利用することになるだろうし、逆にこれは怖いのでは、と考えることでたとえ法的に認められた行為であっても抑制してしまうこともある。

「やっていい」教育を充実することで、公正な利用を促進し、公益を図るとともに、その範囲であれば利用可能であることが明示されることで、その範囲での利用に留める努力をすることができるだろう。それによって、無用な著作権侵害を避けることができるのではないか、と私は考えている。

もちろん

それによってすべてが解決するとも思いがたいし、最後に載せた簡単な図でも依然として曖昧な部分は存在する。そういった領域での利用に際しては、ある程度の知識がいるだろうし、然るべき人に相談する、ということが必要となるだろう。著作権教育を充実させるためには、「やってはいけないこと」だけではなく、「やっていいこと」、そして、「複雑な事情が存在すること」をも含めて教えなければならないのかもしれない。

余談

確かに著作権教育が充実して、子供たちも著作権に対して理解を示してくれたとして、たとえばある子供がプリキュアの絵を描いて、それを自分で作ったサイトに掲載したい、と思ったとする。そして問い合わせる。

わたしのホームページに、わたしのかいたプリキュアの絵をのせていいですか?

この問い合わせをどうとらえ、どう回答すればいいんでしょうね。