CDの時代が終わるとき

そんなに近い将来の話だとは思っていないが、いずれCDという媒体は表舞台からは姿を消すだろう。もちろん、どういう過程を経てそれが実現されるのかも、現時点ではそれほど予測可能なものではないが、それでもレコードやカセットテープ、MDなどが廃れたのと同じように、いずれはほとんど目にしなくなるだろう。

コピーを製品として売るための媒体、コピーを私的複製のために保存しておくための媒体、いずれもこれまでのものとは別のものがそれに取って代わり、その変化はこれまでも留まることなく積み重ねられてきた。メディアとしての機能を持つデバイスがそれに代わるのか、それとも我々の目には見えないネットワークの向こう側にその機能を移していくのか、それともそれ以外の何かがあるのか、まだ誰にもわからないだろうが、それでも、私たちの前に立ちはだかる歴然たる事実は、いずれCDという媒体は表舞台からは姿を消す、ということ。もちろん、未だにレコードが完全に廃れていないことを持って、CDがなくなることはない、というのも事実だろう。しかし、ある一部の人を除いて、レコードの音楽メディアとしての機能性、利便性はCDに取って代わられてしまったし、機能性以外の部分でも、一部の人に愛好されているだけに過ぎない。それと同じことがCDにも起こる、というだけのことなのかもしれない。

先日紹介したBeep! Beep!というレーベルは、CDやレコードといった媒体への愛着から、それを売ることを一番の目標としている。「売れ線の曲と一緒に他の曲も買わせることができるからCD(アルバム)というメディアを守りたい」という商売を目的とした考えではなく、「(美しいアートワークにくるまれたハードコピーとしての)アルバムを目で見て、手にとって、その匂いまでも感じて欲しい」というアーティストとしての矜恃なのだろう*1。でも、そこにももはやCDの持つ機能性、利便性は担保されてはいない。

もちろん、CDというデータが定着された物理的なメディアには、保存においての安定性がある。しかし、音楽配信によって得たデータの安定性はいかようにでも改善の仕様があり、技術的な問題ではなく実装の問題でしかないのかもしれない*2

以前、『CDの価値:「CD=ファングッズ」なのであれば』というエントリを書いた。その中で私は、

今あるCDやレコードの代わりに、「データ」と「データの入っていない銀の円盤/ビニール」をもらえるとして、これまで通りの価値を見いだせるだろうか。どうも私には後者が抜けがらのように思えてならない。たとえ、データへのアクセスが一生保証されているとしても、CDやレコードに感じる魅力とは別のものと感じてしまう。
私には、CDやレコードという媒体にデータが入っていてこそ、価値があるように思える。

CDの価値:「CD=ファングッズ」なのであれば - P2Pとかその辺のお話@はてな

と記した。これはある意味では、問いかけであり、私以外の人の考えも聞きたかったのだが、ブックマークコメントには、私とは異なる感覚を持っている、という意見を複数の方からいただいた。私としては、id:himagine_no9さんの

himagine_no9 himagine_no9 多分にノスタルジックなものはある。俺も、データでOKとは頭で分かっていても、やはりそれが何か物理的に定着されたもの(安定性の本当のところはともかく)に執着する傾向はある。ジャケットやブックレット込みで。

こういう考え方に近くて、きっとBeep! Beep!の面々も同じような感覚を持っているのだろう。ただ、その一方で、

mokkei1978 mokkei1978 CDレンタルのダビングで育ったんで、個人的にはCDイメージで十分かな。/自分の音楽ライブラリをどのように構築してるか(円盤かデータか)による?

ex_hmmt ex_hmmt DRMさえかかってないなら、個人的にはデータでもかまわない。でもその気持ちもわからなくもない。

thvenr thvenr データでいいなぁ。ただ耐久性の面でHDとかでは不安ってのはある

nutiny nutiny ハードディスククラッシュ時の面倒さを考えると、数百円高くても銀盤で持っておく方が効率的だと思う。

asakura-t asakura-t パッケージ(メディアやブックレット等含めた全体)とデータが別でも全然かまわないけどなあ。// 昔は買ったゲームの空パッケージとか残してたくらいだ

ざっと見た感じでは、比較的データでも良い、利便性が高い方を選択している、という感覚を持っている人の方が多いような気もする*3。また、CDの持つ価値を別の切り口から見た意見として

GiGir GiGir テレフォンカードとただのカードの違いとの類似。自分にとってでなく、他人から見た場合の価値の保証の問題なんだと思う。

jrf jrf 著作者が動産の形にすることで記録の転売を認めたと擬することができ、作品価値を認めない者も記録の数に値付けでき流通させ易く、ネット配信が普通になればCDはペイしないので将来的には希少になりうるから、価値有

どちらの価値が付加的なのかは、人によって異なり、自分にとってはその作品が定着していることに個人的価値を見出し、別の人から見ればその作品が定着している媒体に経済的価値を見出す。いずれにしても、個人がCDを購入する場合には、個人的価値をこそ求めるのだから、後者の経済的価値が担保されなくても、それを割り引いた価格設定であれば障害にはならないのかもしれない。

少なくとも、マスにとってのCDの利便性、機能性はデバイスの変化を持ってして失われ、CDは嗜好品として愛好するごく一部の人間のオプションとなるのだろう。

追記:もしくは、あるアーティスト/作品の熱烈なファンにとって、ある種の価値を実体化するためのよりしろとなるのかもしれない。

いずれにしても、CDというメディアによる制約を逃れた時代に、アルバムという概念は多くのリスナーにとってどういう意味を持ちうるのだろうか?アーティストの側は矜恃として、アルバムを創る誘惑には勝てないだろう。彼らは作品群にアルバムとしての意味を持たせる。では、リスナーにとってアルバムは何を意味するのだろうか?そのアーティストの意図を汲んで、その意味を解釈するのだろうか?おそらく私は、これまでの経験からアルバムというかたちを支持するだろう。しかし、私とは異なる経験をしてきた人がそうは思わないとしても、何ら不思議なことではない。

終わりに

ある意味では、私は旧世代の人間なのだろう。良くも悪くも、私の経験がCDやアルバムという概念を愛好させるのだと思っている。レコードの時代に生まれ育った人が、レコードという媒体に愛着を覚えるのと大して変わりはないだろう。データという形でも構わないという人もまた、その人の経験がそう感じさせるのだと。そこには優劣も正誤もない。

いずれにしても、ほとんどの人が音楽を好きだということには変わりはないだろう。音楽を聞き、心を動かす、それこそが音楽にとって重要なこと。そのメディアがなんであれ、その形態がどうであれ、音楽を楽しむことには変わりはない。

*1:でなければ、全てのカタログを無料で配信したりはしない。

*2:ハードウェアが壊れ、データが失われたとしても、容易に再入手できるのであれば、安定性は担保される。

*3:もちろん、コミュニティによってこうした感覚を持っている人に比率は変わってくるのだろうが。