利益を確保する範囲で利用を制限、それ以外は自由というスタンス

イースシリーズでお馴染みの日本ファルコムが、同社が販売、管理する3,000曲をこえる楽曲の二次利用を可能にする「ファルコム音楽フリー宣言」を行った。

詳細はオフィシャルサイトにて確認してもらいたいのだけれど、これを見て思ったのは、こういう動きって特に今の時代だからこそ、当然の流れという気がしないでもない。

フリーにすることが当然だ、というわけじゃなくて、不利益を被らない範囲で、より利益をあげる方法を模索するという方向で著作権管理を見直す、ということ。もちろん、その利益は直接的な金銭的利益というよりは*1ブランディング等によって得られる間接的な利益であるのだろうが、作品を可能な限り活用して最大の利益を求める、という考えは、特にユーザが主体となって作品を生み出し、その作品に注目が集まる現在においては有効だろう。

このフリー宣言で制限されるのは、ゲームでの利用と、楽曲を利用した直接の金銭的利益を求める行為であって、それ以外の部分はほとんど許されている。要は現行ビジネスを阻害しない部分においてはご自由に、というスタンス。そして、その範囲での自由な利用が、自らの利益に繋がる。だから、こうした流れは正しいし、当然だと思える。

著作権は他人に使わせない権利ではなく、利益を上げるための権利。意味も目的もなく「保護=使わせない」というスタンスでは、ただただ無駄な労力を割くことになるだろう。

かといって単純に一般化できる話でもないよ

BGMや演奏、映像コンテンツ制作のための二次的利用などから利益を得る、というのも、著作権ビジネスにおいては重要な部分。そこも含めた収益モデルを描いている場合には、フリーで使わせることが必ずしもよいとは限らない。

フリーでないのは残念だ、と強く思わせるコンテンツであれば、そこに十分な価値があるといえる。それを直接的な利益に結びつけるべきか、間接的な利益に結びつけるべきかは、それぞれのケースで異なるので、何でもかんでも自由に利用させることが良い、というわけではない。

*1:もちろん、二次利用のために購入するという効果も若干は期待できるかもしれないが、目を輝かせるほどの影響はないと思う。