商用可能なCCライセンスで楽曲を提供する理由:「名もなき存在でいること、それが本当の敵だ」

私がJamendoで出会ったアーティストの中に、Josh Woodwardというアーティストがいる。お気に入りのアーティストの1人で*1、きっとBelle & SebastianとかBen Fold Five - Ben Folds、Semantics - Owsleyのあたりを好きな人ならきっと私と同じようにグッとくるだろう。
彼はJamendoのみならず、多数のサイトで自らの音源をフリーで提供しており、彼自身のサイトでは彼がリリースしたすべての楽曲を公開している。こちらもフリーである。4月には2枚組の最新アルバム『The Simple Life』を公開しており、こちらもお勧めしたい。
そんな、自由な音楽に非常に理解を持っている彼が、4月にポストしたブログエントリが非常に興味深いものとなっている。そこでのテーマは、なぜ彼がCreative Commonsライセンスにて営利利用を許諾するに至ったか、である。

title:Creative Commons License Change
url:http://www.joshwoodward.com/n/creative_commons_license_change.html
auther:Josh Woodward
date:Mon, Apr 28 2008
 文中の強調(太字)部分は引用者によるもの

ヴァージニア工大のFree CultureグループのConleyから、Creative Commonsライセンスの非商用制限に対するケースへのリンクが書かれた、考えさせられるメールをもらった。それを読んで、僕は自分の音楽からこの制限を取り払うためにライセンスを更新することにした。だから、これからは僕の音楽を商用でも使えるようになる。もちろん、僕のクレジットを付けて、同様のライセンスで公開する限りは。

非商用、という制限を付けるアーティストは確かに多い。その理由は感情的に理解できる部分が大きいし、そういった制限を設けないことがアーティストの不利益になるんじゃないかとも思える。実際、Woodwardもこれまではそうした考えを持っていたようだ。

これは僕が活動を始めたときから、格闘してきたものなんだと思う。僕のCDを手に入れて、焼いて、売る、そんな権利を誰かに譲ることを良しとしてこなかった。

人々の善意だけに期待できるなら、おそらくこうしたことを考えることはなかったろう。しかし、現実として悪意ある人々は多く存在しているし、そうした悪意ある人々がライセンスを逆手に取るかもしれない、そうした懸念は当然のこと。しかし、Woodwardは現実的に考えると、そんなことはないんじゃないか、と思い始めたようだ。

でも実際のところ、誰がそんなことをする?もし誰かがそうしたとしても、帰属(attribution)が与えられている限り、僕にとって望ましい状態なんだ。無料で手に入ったとしても、ペイしようと思ってくれる人はみんな、クリエイターをサポートするためにそうしてくれる。

たとえ、何者かが彼の音楽を利用して商用CDを作成したとしても、その人は自分の存在を広めてくれる人なんだ、そうやって彼の存在を知りファンになった人がいたら、その人は彼の活動を支えてくれるかもしれない、ということだろうか。実際、既に彼は145曲の作品を無料で公開しており、その経験からの実感としてそうした考えに至るというところもあるのだろう。
また、それは彼の哲学でもあるようだ。

Peter Mulveyがかつて、自分の車からCDの箱が盗まれたときにこう言ったことを思い出すんだ。「なぁ、もし盗人が俺のCDを売る方法を見つけだせたんなら、モーレツに彼を誉めてあげたいね!」名もなき存在でいること、それは海賊行為なんかよりはるかに強大な敵だという哲学のもとに僕は活動してきた。だから、これは理にかなった次のステップなんだ。

私は、Creative Commonsの恩恵を最も受けているのは、こうしたニューカマーたちなんだと思っている。「名もなき存在」から脱却するために、より人々に親和的なライセンスにすることでより多くの人に利用してもらう、それによってJosh Woodwardという存在を知らしめることができる。それがたとえ商用であっても、その目的に合致しているのであれば、積極的に利用してもらうほうがいい、そういう考え方も納得がいく。
ただ、これによってWoodwardが商用利用から利益を得られなくなるか、というとそうでもない。それはこれがCC by-sa(表示-継承)にてライセンスされているため。

もし、僕の音楽を僕と同じCreative Commonsライセンスでのリリース(映画やコマーシャルなど)を受け入れられない/できないという場合には、これまで通り僕に連絡してほしい。一緒になんとかしよう。

つまり、商用で著作物を利用したとしても、ライセンスを継承しなければならない、というところをクリアしなければならない。何でもかんでもOKではない、というところがミソなのかな。
たとえばCMなんかにWoodwardの楽曲を利用し、そのCMをどうしても同様のライセンスで公開することができない、というのであれば、彼と何らかの契約を結ぶことになり、契約によっては彼に利益がもたらされることにもなる。一方で、権利上の問題をクリアし、そのCMを同一のライセンスで公表することができたのであれば、彼のクレジットが付与されたCMが共有可能となることで、彼の名をより広めることに役立つのかもしれない。もちろん、それはCMに限らず彼の作品を利用したすべてのものに当てはまる。
もちろん、メジャーなアーティストであれば、商用利用を認めたときに得られる利益以上に、収益を得る機会をいくらか失いかねないだろうことを考えると、誰しもに通じる方略ではないだろう。ただ、インディペンデントなアーティスト、それもほとんど知られてはいない人々にとっては*2、より多くの人々にリーチすることこそがかけがえのない利益となる場合もある。少なくともJosh Woodwardはそう考えている。
インターネットの世界は、進化の途中にある。ともすれば、「カンブリア爆発」を彷彿とさせるような、多種多様なアプローチがとられている。そのアプローチの正しさ、誤りを決めるスタンダードは依然として存在してはいないように思える。それゆえに、この短期間の間にインターネットの世界は大幅な変化を続けている。つまり、「今ここ」に適応したアプローチは「今ここ」において生存を続け、「今ここ」に適応できなかったアプローチは淘汰される。
そして、その進化の途上にある様々なアプローチの、淘汰、生存を決定づけるのは、それを選択する総体としての「われわれ」なのだと感じる。

*1:メジャー/インディペンデントの区別なく

*2:Josh Woodwardはそういった人々の中ではそれなりに有名ではあるが