Open Rights Group、欧州委員会の著作隣接権保護期間延長提案に反論

Open Rights Groupのレポートが非常におもしろい。欧州におけるパフォーミングアーティストの著作権保護期間延長の提案欧州委員会からなされていることに対しての反論なのだが、非常に的確に批判を加えている。
ということで、この反論を以下に要約してみたい。意味はつながるようにしているが大幅に要約しているので、詳細については原典およびそこで参考にしている論文等に当たっていただきたい。

Section 1:エビデンス

委員会がベースにした調査、研究などはライツホルダーベース、またはライツホルダー寄りのものばかりであり、延長に懐疑的な結果を示す調査や研究が意図的に無視されている。これは、議会、連合、市民を欺くものではないか。委員会が採用した証拠は、明らかに偏りがあり、都合のよい部分ばかりを取り上げ、消費者に悪影響を及ぼすことはないとしているが、それには疑問がある。
また孤児作品をさらに生み出すことにもなり、インフォプロが権利をクリアにしておかなければならない範囲が拡大する。こうした状況は、製作者が過去の作品を利用する際の権利処理コストを増大させる*1。それについて、委員会はうやむやにしている。
また、延長によってニッチかつ文化的な作品をレコード会社が世に出すインセンティブとなりうるので延長すべきだという議論も強い論拠を伴ってはいない。1965年以前の録音物の利用可能性についての英米での比較研究があるが、これによれば英国の方がより利用できる作品が割合として多く、これは英国の保護期間がより短いことによるのではないかと示唆されている。また企業が録音物を飼い殺しにしてしまうよりも、パブリックドメインとなった方が、作品のデジタル化、流通も促進され、文化的多様性を生み出すのではないか。
現在の保護期間でも十分に機能しており、このような提案を許せば、再び「黄金の」50年代、60年代が持ち出されて同じ提案が繰り返されるだろう。また、作詞作曲者とパフォーマーとの間に権利保護期間の不均衡が存在し、それをパフォーマー軽視だと言われるのであれば、我々は作詞作曲者の権利保護期間を短縮する必要があると考える。

Response of the Open Rights Group(pdf)

不平等が存在しているからといって、高い方にあわせる必要はない、というのは確かにそう思う。もちろん、現実的ではないが、どうしようもない理由付けが行われている以上、そう主張してるというところだろう。
また、日本でもそうなのだが、適切な保護期間については語らず、ただただ感情的に延ばさないのは非人間的だというような議論に持ち込まれては、そもそも権利として際限のないものになってしまうので、そういった主張をされる方にはもっと明確に話をしていただきたいものだ。未来永劫財産権は保護されるべきだと考えているのか、それとも期間として短いと言いたいのか。少なくとも、後者であれば適切な期間について明確に述べていただきたいし、前者に対してはそれで起こりうる*2問題を現実的に解決する方法を提案する、もしくは実現してからそう述べていただきたい。少なくとも、現状ではどこかで明確に線を引かない限りは未来永劫引き延ばしが続くだけだろう。お金のためにね。
Open Rights Groupがここで主張しているのは、こちらの主張の方が正しいというものではなく*3、こうした議論、証拠があるにもかかわらず、なぜ欧州委員会はこれを採用しなかったのか、これを議論に含めていないのか、ということ。

Section 2: 誰が得をしているのか?

委員会は保護期間の延長によって欧州のレコーディングアーティストが救われるというが、実際にはほとんどのアーティストが救われることはない。
スウェーデンでは1995年に20年の保護期間延長がなされたが、亡くなったパフォーマーに対する支払いが2.4%から14.1%に増加している。放送局などが支払う使用料が一定であることを考えると、パイのサイズは変わらないが支払いを受け取る人が増えた分だけ、生きている人の間では1人1人の取り分は減ることになる。パフォーマーが生きている間の支払いを減らすのではなく、増やすことが肝要だ。
では誰が保護期間延長で得をするか。委員会は生活に困窮するパフォーマーを助けることになるなどといっているが、決してそんなことはない。延長された期間に得られる収益の10%がアーティストに還元されるが(うち90%がレーベル)、そのうち77.0−89.5%が上位20%のパフォーマーに分配され、下位の80%のパフォーマーは残り(つまり全体の約1%)を分け合うことになる。しかし、委員会はこうした偏りがあることには触れていない*4

この保護期間延長が大半のパフォーマーにもたらすのは、少なければ年間50セント(low estimate, no fund*5、最大でも26.79ユーロ(high estimate, with fund)に過ぎない(最初の10年で)。

一方で、各メジャーレーベルは、45年の保護期間延長で最低で820万ユーロ、最大で1億6,300万ユーロの利益を上げることになる。年間ではレーベルごとに20.5万ユーロ-407.5万ユーロとなる。

本当の問題の焦点は、レーベルが利益を上げられるかどうかであり、掲げている目的とは異なる。その一方で、保護期間の延長は、消費者に、インフォプロに、未来の(フォロワーとしての)創作者にコストを強いる。現在の音楽産業の苦難は、時代に適応できていないだけであり、それを持ってより厳格な法律、侵入的で過剰なDRMに加えて、知財権の拡張を要求することは不適当であり、アーティストにも消費者にも利益をもたらすことはない。欧州のクリエイティブエコノミーに貢献することのない産業に、お金を流す必要はない。

冒頭の議論はなかなかおもしろい。遺族が云々という議論が日本では当たり前のようにされているが、欧州のパフォーミングライツ保護期間延長議論では、現在生きているパフォーマーが日々の生活に困窮しているということを建前されている。本音としては、50年代60年代の音楽から利益を上げられなくなることを避けたいという音楽産業が必死のロビー活動を行っているのだが、その建前としてのメッキもはがれかねない話である。今現役の人たちも間接的に犠牲になれ、という話だからね。
さらに、その建前として掲げた困窮するパフォーマーに利益をというのも、すすめの涙程度だという指摘も興味深い。もちろん、年間50セントというのは最低の場合であって、さらにレコード会社が延長分のパフォーミングライツからあげた利益の20%をファンドとして分配するというミュージシャンズファンドを考慮していない額なので本当に最低の額、ということになる。まぁ、それを入れても大半のミュージシャンは微々たる額しかもらえないのだが。
そもそもの発端が、困窮するパフォーマーを救うために、という話だったのだが、こうしてみると、レーベルや金持ちパフォーマーのためのものにしか思えないのだが、これに対してきちんと反論できるのだろうか。

結論

欧州委員会の提案は、問題に対する非効果的なソリューションと根拠のない施しを与えるというものである。こうした保護期間の延長は、コストを強要し、経済論理を無視し、故に消費者を混乱させ、憤慨させる。これは基本的な社会的契約を破り、そして知的財産権システムに必要なリスペクトと受容とを危機にさらす。
知財権ポリシーはバランスが取れているものでなければならないにもかかわらず、今回の提案は特定利益団体のロビー活動によって、そうした側に都合のよい証拠ばかりが採用されている。我々がここであげた証拠との突き合わせが必要不可欠である。
知的財産権を管理する法は、創造的、社会的、経済的利益を達成する手段としてこそあらねばらなず、一部の人々の利益のためにあるのではない。この提案は断固として拒絶されねばならない。

結局のところ、ビジネスのために延長を画策しているというのは疑う余地もないだろう。個人的には、ビジネスのためであっても一定のメリットがあることが明白であれば支持してもよいとは考えている。
ただ、ここで指摘されているように、一部の人々の利益のために他の人々のコストを要求するようでは、許容しうるものではない。

*1:"use it or lose it"条項があると言うが、それだって許諾を得るためには、どのような状態にあるのかを調べねばならない。商用利用をしていないことで、レーベルからパフォーマーに権利が返還されたとしても、そのパフォーマーを捜すのにコストがかかる。結局のところ、権利者を捜すためのコストがかかることには変わりなく、場合によってはさらなる問題を生み出すともいえる。

*2:既に現在生じてもいる

*3:もちろん、正しい考えているのだろうが

*4:こうした切り分けを行うことなく、全体として150-2000ユーロくらいだとしている(放送、私的複製補償金あわせて)。

*5:貧しいパフォーマーを助けるためとして、レーベルその他によるミュージシャンズファンドというものが計画されている。それを加えなければ、という意味。