Web 2.0 Make Noise:ノイズとは何か?

我々が得る情報の中には、多数のノイズが含まれている。可能な限り、ノイズ(不必要な情報)を減らすことで、ノイズを処理するリソースを低減することができる。それによって、よりリソースを必要とする部分にそれを配分することができる。我々はできるだけ、そうしたノイズを回避したいと願っているが、実際にはそうしたノイズに煩わされてばかりである。

必要な情報は是非とも取得したいところだが、不必要な情報はいらない。しかし現実には必要な情報を取得したいところに不必要な情報が紛れ込んでしまう。一方で、不必要な情報を回避しようとすると、ともすれば必要な情報まで取り逃してしまうかもしれない。

情報の取得における要不要の判断と結果を単純化すると…

  1. 必要な情報を、必要だと判断して取得する
  2. 不必要な情報を、必要だと判断して取得する
  3. 必要な情報を、不必要だと判断して取得しない
  4. 不必要な情報を、不必要だと判断して取得しない

この4つに大別できる。望ましいのは1.と4.なのだが、往々にして2.と3.が混じり込む。必要な情報を逃すまいとすると、不必要な情報が入り込んでしまいかねないし、不必要な情報を回避しようとすると、必要な情報を逃してしまうかもしれない。

ノイズ、不必要な情報とは何か?

スパムメールを好きだという人はそれほどいないだろう。中には「アリクイ未亡人」のようにスパムに愉快な文章を見つけるのが好きだという人もいるだろうが、ほとんどの人はスパムメールなどは不必要であり回避したいと願う。それでもスパム業者はお構いなしに可能な限り多くの人にメールをばらまいてくる。それを回避するために、我々がとることのできる対策は、1つにはスパム業者にメールアドレスを知られないこと、もう1つは送られてくるスパムを遮断または不可視化することである。

不幸にしてスパム業者にメールアドレスを知られてしまった場合、送られてくるスパムをフィルタリング等によって回避することが必要になる。そのフィルタリングこそが、必要な情報のみを取得し、不必要な情報を遮断するものとなる。たとえば、メールクライアントにて、スパム業者からくるであろうメールをスパムBOXに送り込むためにフィルターを作成する、セキュリティソフトの機能でスパムメールを排除する、Gmailなどに実装されているスパムフィルタリングを利用してスパムを排除する。

ただ、こうしたフィルタリングを行なったとしても、スパムがフィルターをすり抜けてくることもあるし、一方で自分にとって必要なメールがフィルターにかかって届かないということもある。上記の分類で言えば、2.と3.が生じうるということである。おそらく、こうしたスパムメールのケースでは、フィルターをすり抜けられることよりも、必要なメールがフィルターに引っかかって届かないということの方が問題になる。ただ、これはスパムであればこそ、つまり全く価値を見いだせないからこその話ではある。

我々が日常的に接する情報の多くは、完全には不要であるとは思えない、価値を見いだせないとは思えない情報である*1。その情報に価値はあるかないかという判断は、決して二択ではなく、程度の問題でもある。また、価値といってもポジティブなものもあればネガティブなものもある。たとえば、「これはすごい」という情報に価値を見いだすこともあれば、「これはひどい」という情報にも価値を見いだすこともある。後者に関しては、たとえ「ひどい」と思ったとしても、その情報を取得したいと思った時点で、その情報には価値があるということ。また、それを元に考えを進めたり、議論をするというのであればなおさらである。

しかし、こうした価値は絶対ではない。私にとって価値ある情報であったとしても、あなたにとって価値ある情報とは限らない。

ノイズと見なされるものは「雑音」とは限らない。例えば音楽の演奏中の会話は、それをしている者にとっては必要な情報であるが、音楽を鑑賞する立場からはノイズである。

ノイズ - Wikipedia

逆に、他人にとって価値のない情報であっても、私にとっては価値のある情報も存在する。音楽演奏中の会話に関しては、当事者以外の人間にとってはノイズとなりうる、というのは理解しやすいが、実際にはもっと曖昧である場合もある。たとえば、前提知識の差によって、それを持つものと持たないものとではどういった情報に価値を見いだすかは異なる。前提知識を必要とする情報であれば、それを持たない人間には(少なくともその時点では)不要な情報であるし、それを有している人間にとっては、前提となる部分を丁寧に説明している箇所はノイズとなりうる。

また、少なくとも私にとって価値ある情報であったとしても、それは文脈を選ぶかもしれない。たとえば、私が暇つぶしの時間に必要とする情報と、何か調べ物をしているときに必要とする情報とは異なる。情報の価値は人によっても、文脈によっても異なるのである。

つまり、必要な情報とは、当該個人にとって任意の文脈において価値ある情報、といえる。逆に、不要な情報、ノイズとは、当該個人にとって任意の文脈において価値のない情報といえる。もちろん、この中には、文脈の差異を超えて価値がないと判断されるものも含まれるだろう。

Web2.0: Make Noise

なんでこういうことを考えているかというと、以前に紹介したGerd LeonhardのWeb 1.0からWeb 4.0の図の中に、"Web 2.0; Make Noise"と記されていたから。彼は"Web 3.0: Filter the Noise"、"Web 4.0: Going deaf... or SmartNoise?"としている。Web 2.0がなんであるか、というのはあまり意味がなさそうなのでそれを深く考えるつもりもないけれど、少なくとも今向かっている方向としては、ノイズであれなんであれ膨大、多様な情報・アクションを収集し、それを『うまく』集約することで、個人に最適な情報を提供する、というものだと思っている。ただ、現状ではそれがまだ足りない、まだまだブレイクスルーを必要としているように思える。もちろん、今ですら十分かもしれないけれど、そこはユーザのわがままというところなのかもしれないけれど。

必要な情報の選別と不要な情報の除去、もちろんこれは個人が行なうことも可能であるし、スキルや知識があればリソースを大幅に節約することも可能である。また、そのためのサービス、ツールの提供も行なわれている。しかしそれでもなお、我々は大量のノイズをかき分けつつ、必要な情報を探すことにリソースを費やしている。これを解決するためには、ノイズを完全に排除するか、不要な情報を必要な情報だと思い込むか。

補足

ちょっとわかりにくいかもしれないけれど、1つ例を挙げておくと、Livedoorリーダーを利用しているユーザが、購読している多数の記事を閲覧する際に、タイトルだけを読んで必要ないと判断して「J」キーを押して読み飛ばす、そのときの飛ばされる記事が、その人にとってのノイズだというところ。また、広告などは個人にとって「短期的には」必要はないと思えるのだけれど、「長期的には」それなくしては一部の情報を得られなくなるために、必要であるといえる。もちろん、個人にとっての価値を広告に付加することで、その必要性を高めるべきだとは思うけれどね。
続きはまた、近いうちに。今回は前段というところなので、次はもうちょっと具体的に。

*1:もちろん、現時点でも膨大な量の情報の取捨選択を行なってはいる。