DVD/Blu-rayのコピー、事実上の禁止へ:「コンテンツは二度買え」「嫌なら光学ディスクを捨てるな」

DVDやブルーレイなどに収録されている市販の映画やテレビドラマなどの映像ソフトをコピー(複製)する行為は、家庭内であっても違法になりそうだ。暗号化技術を使って保護されているソフトが対象で、保護を破るプログラムの製造や配布も禁止される。ネット上にあふれる「海賊版」を抑制するのが狙い。文化庁が3日、方針を固めた。

asahi.com:DVDコピー、家庭内も禁止へ 暗号で保護のソフト対象

正味の話、海賊版対策になるわけもなく、あくまでも建前に過ぎないんだろう。本当の狙いとしては、正規購入者のDVD/Blu-rayiPad/iPhone等、別のデバイスで使わせたくないというところか。

使う毎にお金を払ってください

このアクセスコントロール回避規制が実現した暁には、家庭内メディアサーバーに映画を取り込んで、宅内の至る所で楽しむことも、データを取り出して別のデバイスに持ち出すこともできなくなる。DVDの映画なりアニメを見たいのであれば、必ず円盤を回せと。キュィーン。

そうなれば、この世の中にDVDをサポートするデバイスがほとんどなくなったとき、信者たちがまた買い直してくれる!小銭稼ぎ万歳!というところもなきにしもあらずなんだろうが、それよりもDVD/Blu-rayを対応プレイヤーでの使用にのみ制限することで、コンテンツの使用ごとに課金する方向に向かおうとしているのだろう。

DVD/Blu-rayを購入しようとも、MacBookAir/iPhone/iPadで見たいならiTunesで購入かレンタルすれば見れます、○○で見たいならSD画質のレンタル配信があります、□□でしたらHD画質で購入いただけます、××社製のメディアサーバー向けの配信サービスはいずれ開始します、△△ユーザの方には申し訳ありませんが配信の予定はありません、みたいな状況の中で、それぞれの利用に課金していくと。

何というか、二度目の買い直しという割と信者向けの小銭稼ぎという印象も受けるのだが、このような買い直し誘導がうまくいっても、それはDVDやBlu-rayが比類なき存在である間に限られるんだろうなと思う。そして、DVD/Blu-rayを対応プレイヤー以外では再生させない、リッピングを事実上禁止することで、その座はますます揺るぎやすくなっていくのだろうなとも思う。別のデバイスの方が魅力的なら、そのデバイスに対応したかたちでお金を出すようになるだろうから。ほとんどの人は、二度買いはしないし、してもごく一部のコンテンツに限られる。

もちろん、こうした狙いは、短期的なものではなく、中長期的な保険としての意味合いが強いかなとも思う。

マルチユースとか儲からないんでDVD/Blu-rayで買ってください

じゃあ、短期的な狙いはどこにあるのか、っていうと、DVDやBlu-rayといった光学ディスクの寿命を延命したい、パイが縮むのを避けたい、というところなんではないかなと。ユーザに勝手にいろんな使い方をさせておくとマルチユース需要が喚起されるから、そこを制限しておけばDVDやBlu-rayを売り続けることができるんじゃまいか、とか。ラッダイト的というか。いや、レコード産業的といった方がいいかしらん。

先行きのわからない、しかもマネタイズしにくそうなオンライン配信に向かうよりも、今の光学ディスクによる販売の方が儲かると考えるのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。ただ、実際そうなるかどうかとなるというと話は別。

私はDVD/Blu-rayリッピングを禁じることで、その座はますます揺るぎやすくなっていくと考えている。結局のところ、ユーザはコンテンツにあわせて環境を整えるわけではなく、ユーザが整えた環境にコンテンツがあわせなければならない時代になってきたのではないか。魅力的で複合的なデバイスが登場したとき、人はすべてのコンテンツ(フォーマット)に対応していなくとも、「乗るしかない、このビッグウェーブに」と思う。

結果的に、少なくとも人気の出たデバイス/プラットフォームに対応し、新たな販路を提供しなくてはならず、しかも、その間を繋ぐバッファとなりうるリッピング可能なDVD/Blu-rayが不在、となれば、ユーザは自分の使いたいデバイスにあわせて選択することになる。複数購入するのは、よほど熱心なファンか物好きに限られるだろう。Blu-rayで買うか、iTunesで買うかで悩むとき、両方買うという選択肢はまずありえない。結局、互いに競合しあって共倒れになるか、いずれかに収斂するかの2択である。

もちろん、ビデオ業界の舵取り次第というところもあるだろう。たとえば、Blu-rayディスクにSD画質のSDカードをつけて、単価を上げて販売するとかね。とはいえ、これでは結果的に脱DVD/Blu-rayへの道を舗装することになるし、すべての利用をサポートできるわけでもなく、苦肉の策でしかないのかもしれない。

囲い込みとマルチユース

一方で、デバイスメーカーによる「コンテンツ−プラットフォーム/アプリケーション−デバイス」という排他的な統合が進んでいる。言い換えるとデバイスメーカーがプラットフォームを牛耳ることによる囲い込みだ。既に、従来型のメディア vs. 新規プラットフォーマーの戦いは映像に限らず至る所で起こっているが、既に飽和しシュリンクを待つばかりの従来型メディアが勝利することはなく、新規プラットフォーマーの伸びを抑えるか、撤退戦を上手くこなすかに尽力することになる。囲い込みが完成したプラットフォームへの参入は、どうしても分が悪い。

現時点で主流の光学ディスク・コンテンツをおさえているという優位性を活かして、少しでも有利なポジションを取るのは重要であるが、時間が経つにつれてその優位性が失われていくのは間違いない。決断を先延ばしにすれば、プラットフォーマーは相手の優位性を切り崩しにかかってくる。くだけた言い方をすれば、「あ、あんたなんかいなくたって、こっちはぜんッぜん構わないんだからねッ!」という状況を作る。最終的にはデレたいわけだが、それまではツンツンしておく、猛烈に。少なくとも、数多くのユーザを抱え込んでいるプラットフォーマーならば、無視はできない存在よね。

そんな中で立ち回っていくことになる。ユーザによる自発的なマルチユースを制限するということは、裏を返せば、ユーザのマルチユース需要を業界が自ら戦略を立てて満たさねばならぬ、ということ。ユーザがコンテンツに合わせてハードウェア環境を揃えるのなんてもはやゲームくらいなもの。好むと好まざるとに関わらず、サービスとしてのコンテンツ提供への道を進んでいるように思う。その算段はあるのだろうか。

追記(2010年12月7日午後3時)

id:mohnoさんから突っ込みをうけた。大野さん、いつもありがとうございます。ご指摘の通り、「ソース=コンテンツ」、「ユース=コンテンツの商用利用」と解するべきで、私の不理解から、本エントリ中の「ワンソース・マルチユース」および「ソース」「ユース」等用語を誤用したことで、誤解を招く部分があった。ということで書き直しました。修正前のエントリは魚拓取ったので、気になる方は並べてご覧下さい。