文化とコマーシャリズム:何も金儲けが悪いなんていってるわけじゃない

もう1つブクマコメントをいただいたので、そちらも考えてみる。

id:yamatedolphin 創作と商品を区別?金儲け(商品)の企みからこそ面白い創作が生まれるのに(昔のUKロックやハリウッドを見よ)/権利団体が矛盾しがちなのはアーティストが公然と金儲けを言うのを好かない大衆のせいでもある?

大衆文化であれば、創作と商品が不可分であるのは理解できる。ただ、彼らが主張しているのはハイカルチャーとしての保護だ。ビデオコメントに、市川團十郎三遊亭小遊三野村萬?ちょっと露骨すぎやしないか?
ハイカルチャーであるがゆえに商業性と噛み合わない部分があるが、それを『ハイカルチャー』として存続させるためには、やすやすと商業性に迎合するわけにはいかない、だから保護を!その価値は十分にあるはずだ!」と叫ぶのであれば理解できる。もちろん、その価値があるかどうかについては個々に是非が分かれるところもあるだろうが、伝統芸能、古典など商業性を超えた価値を持つものもあるだろう。そのようなハイカルチャーに対しては、一定の文化保護を目的とした施策を講じるのもそれほど反発を生むものではない。
しばしば勘違いされるのではっきり言っておくと、私は商業活動からより多くの利益を求めることを否定したことはない。むしろ積極的にそれを目指すべきだと思っている。ただ、昨今はWebの登場によって、大きく事情が様変わりしてしまった。マネタイズの方法が変化しつつあるにもかかわらず、相も変わらずこれまでどおりのやり方を推し進めようとすることに対して、「そんなんじゃ金儲けはうまくいかないよ」とがっかりしているわけで。
「金儲け(商品)」の企みから生まれる面白い創作が、なぜ「昔のUKロックやハリウッド」に限定されるのか。結局のところ、金儲けはブーストすることには役立つけれども、そのプロセスを保証するものではない。「金儲け」にブーストされた『巧みな』企みこそが面白い創作を生む、というのであれば支持したいところだけれど、その『巧みな』企みが私的録音録画補償金の拡大というのであれば、私とはいささか見解が異なる。最も重要なのは、金儲けの動機ではなく、そのプロセスにある。
個人的には、こういった議論を嫌儲で一括りにしてしまうこと自体、その嫌儲と呼ぶ存在同様に偏った見方じゃないかなと。前のエントリでも述べたけど、大半の人は金儲けが憎いわけじゃないと思う。ただ、多くの人が感じるのは、アンフェアなやり方は許しがたい、ということ。フェアじゃないけど、アンフェアだと思われなければ、お金儲けをしていても、大して気にも留めないだろう。
中間搾取を取り払え!生産者と消費者はダイレクトに繋がるべきだ!って言ってる人がいても、その人は進んでAmazonとか使っている。Amazonだって中間マージン取って大儲けしてるのにね。でも、Amazonがアンフェアだと思われていないのは、ユーザとWin-Winの関係を作り上げているから。実際にフェアでなくても、本当はWin-Winの関係でなくても、少なくともユーザにそう思わせれば、ユーザは嬉々としてその思い込みに従って支持してくれるだろう(もちろん、実際にそういう関係を構築することこそ重要ではあるのだけれどね。ユーザの思い込みに頼っていては、それが露見したときにより強力な反発を生み出すことになる。また、フェアであると思われていた存在が、アンフェアな行為を行うことも然り。最近だとFacebookか)。また、Googleが掲げた『Don't Not Be Evil』が理想的な言葉に見えたのもそういうことなのだと思う。そして、昨今Googleがユーザに批判されるのもそういうことなのだと思う。Googleが金儲けをしたことが悪いんじゃない、GoogleがEvilであることが腹立たしいのだ。
今回の件がこれほどまでに反発を生んでいるのは、明らかに経済的な活動を基盤にしている産業が、それを『文化』というコトバでカモフラージュしながら経済性を批判し、自らの保護を拡大せんとする試み、それがアンフェアだと捉えられたからだろう。
冒頭で述べたことを言い換えると、『大衆文化』は『商業性』とは不可分であり、互いに影響を及ぼしあう。大衆文化が花開けば、そこでの商業性は促進されるし、商業性が促進されることで、大衆文化は更に花を広げる。しかし、商業性を伴う以上、文化が変化を続ける以上、『文化』の名の下に無制限に保護されるべきものではない。