「炎上」=「私刑」なんだろうか?
私が心配するのは、ブログ炎上を始めとする「私刑」が拡大する社会になってはいないだろうかという点だ。(ガ島流ネット社会学)
炎上の原因は「問題発言」や「問題行動」そのものにあるとされるが、中には「何が問題なのだろう」と首をかしげてしまうものもある。ネット上の議論は一度火がつくと冷静な視点が失われがちだ。義憤に駆られ、正義を主張する無数の人々が協力して個人情報を暴き、自宅写真をネット上に公開し、通学する学校や勤務先に、場合によっては警察に電話する。関係機関に「処分はしないのですか?」と問い合わせたり、その対応・やり取りの電話やメールを公開したりする。このような圧力に晒されれば、判断を停止して「とりあえず謝っておこう」「処分しておこう」というその場しのぎの対処に至る企業や組織が出るのも不思議ではない。萎縮効果は抜群だ。
インターネットと「私刑」化する社会 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS
個人的には、炎上と私刑が同一であるのか、という点が気になる。何を言ってるんだ!!と思ってしまうようなブログ記事を読めば、人は反論したくなるもの。たとえ1人もコメントを書いていなくてもそこに反論コメントを寄せるだろう。それは炎上じゃないからOKだけど、反論コメントを寄せる人がたくさんになると炎上、それはリンチだからダメ?
もちろん、コメントを寄せる人が多くなればなるほど、それが更なる反論コメントを煽ることになったり、その発言を過激なものにするのも事実。ただ、そこに寄せられるコメントの多くは、その意見は受け入れられないな、という意思表示だったりすると思うのね。過激すぎる発言はどうかと思うが、意思表示としてブログ等のコメント機能を利用することが悪いことなのか、というとちょっと疑問に思えるところもある。
ただ、問題はその先にあると思うのね。そうしたコメントに後押しされる形で、かなりいきすぎだ行動をする人がでてくる。上記の記事に書かれてるようなことね。悪乗りの果ての糾弾会みたいな。こいつは悪い奴だ、制裁を加えられるべきだ、という考えなのか、それとも、単純に探偵ごっこを楽しんでいるだけなのかはわからないけれど、いわゆる「炎上」といわれる現象が非難される際には、こうした人々がその背景にあることは間違いない。
うーん、炎上って言葉は何だか問題をぼかしちゃうような気がするなぁ。