Yahoo!知恵袋:自分の感情を説明してもらうための質問

昨日の続き。回答者がべストアンサーを選んでいるんだけど、これが非常に興味深い。
「私だけでしょうか」メソッドは、他者の賛同を得るためのものとして用いられるのかなと思ったんだけれども、今回の一件はそれだけではないように思える。この質問者は賛同を得たいというよりむしろ、自らの感情を正当化できる理由で説明してほしい、という意図があったのではないだろうか。
質問の内容をもう一度見てみると、具体的な出来事の記述(ただし主観の強い観察であるために曖昧さや恣意的表現となっている)や比較的低次の感情(不快感や馴れ馴れしさという感覚)の説明が多く、抽象性に欠ける。おそらく、その点が読み手の多様な解釈・反発を招いているのだと思われる*1
ただ、その抽象さの欠如は、質問者自身の認知を不安定なものとしており、それをより安定させたい、という理由で質問しているのだと思われる。つまり、『誰か私の感情を説明して』と。
それに合致したのが以下の回答のようだ。

ベストアンサーに選ばれた回答
私も似た考えです。
「ありがとう」を言った人の表情、声の感じ、雰囲気など瞬間的に察知してしまいます。同じ言葉でも年輩の人の言葉が良く感じられるのは、言葉だけでなく、表情、声のコントロールが上手になるからだと思います。
若い人の「ありがとう」の軽さ、日本の文化だと言うのなら、言葉の重さっていうのを、理解して発して欲しいんです。
ありがとうを言うのはいいことでが感謝の意を表す、趣きのある言葉あってほしいとも思うのです。
ありがとうが形だけのものになってしまわないように。

質問した人からのコメント
「言葉の重さ」「形だけのものになってしまわないように」 ズバリです。
堅い考えかもしれないけど。

店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。 - Yahoo!知恵袋

質問自体が、自分はおかしいのか、神経質なのか、客が店員に礼を言う必要があるのかどうか、ということだったのに、千件を超えるレスポンスから選ばれた回答は、質問者自身が説明できなかった質問者の感情を説明する内容であったことは興味深い。
しかし問題は、この回答が質問者の感情を正確に説明しているとは限らないということ。

私の周りにも何人かそういう人がいて、

私ははじめ、この箇所を「私の友人も」と表現しなかったことが気になった。さらに

そういう人に限って、何かあったときにねちねちクレームつけたりする。

因みに、「ねちねちクレーム〜」に関しては、先日私を口説いてきた勘違い既婚者(関西人)の一例。

と、既に「馴れ馴れしくありがとうという人」に対してネガティブな印象が形成されている。それも自らの不快な経験に伴う「ありがとう」であったことを考えると、ステレオタイプ的な思考も形成されているのと思われる。その段になって、自分がおかしい、という認知は到底受け入れられるものではないだろう。
となると、自らの認知を変容することなく、かつ自らの感情の正当性を感じられる回答を選択する、ということは不思議なことではない。もちろん、人は他者(や外界)からのフィードバックで正しく自己を認識できるという側面はあるのだけれども、そのフィードバックの解釈や選択において、必ずしも正しいとは限らない。特にバイアスがかかっている状態では。
この回答を選択した時点で、質問者にとって、自らの感情は「ありがとうという言葉への軽視」が問題であり、馴れ馴れしさや見下されているという感覚の問題ではないのだ、という正当化ができる*2。それが現れているのかなと思えるのは、質問者からのコメント。

そういえば、みんな私に感謝の気持ちは?
「話題を提供してくれてありがとうございます。」でしょ?

おそらく、質問者自身、自らの不快感の根底にあるのが、見下し目線であり、馴れ馴れしさであることは理解している、ということが伺える。だからこそ、「言葉の重さ」という問題にしてしまったことで、このような表現を(晴れて)行えるのかなと。
また、その言葉の重さについても、

たくさんの回答、ありがとう。
・・・ございます。

と表現することで、このありがとうは「軽い」表現だ、ということを強調している。おそらく、こうした表現をしたのは、数多くのネガティブフィードバックに対する反発として、「正当な」理由での反撃を試みているのだと思う。筋違いの批判ばかりして!私が怒っているのはこういうことなんだ!わかったでしょ!ということかと。
まぁ、必ずしもこういった見方が正しいというわけじゃないし、この質問者を非難しているってわけでもない。こういう傾向って質問者に限らず、ヒトの持つ性質なんだと思うし。ただ、なんかこんな風に考えてしまったということで。
さて、このQ&Aでは「ありがとう」という「言葉の重さ」ということをベストアンサーの方は述べているのだけれど、個人的にはそれに違和感を覚えた。それについてはいつか

*1:これもまた興味深い現象ではある。

*2:というよりは、そのような不協和を感じずにすむというところだろうか。