マナーとモラルを自らの価値観で判断するとき

 最近、電車内でニンテンドーDSPSPなどの携帯型ゲーム機をピコピコいじっている人を見かけることが少なくない。そこでオリコンが、「電車やバスなどの公共の車内で、自分もしくは他人が携帯型ゲーム機で遊ぶことに抵抗感を感じるかどうか」を調査したところ、約7割が【抵抗感を感じない】と回答していることがわかった。

電車の中でゲーム、許せる許せないの境界線は“音”!? −オンラインゲームのオリコンランキング

正直、電車の中で何かしていても大概のことを気にしないので、当然ゲームをしていたところで気にならない。まぁ、それは私がど田舎で育ったということもあるのだろうけれど。電車なんて日常的に乗るものでもなかったし、それほど混雑するということもなかった。車両のほとんどがボックス席で、大概じいさんらがワンカップ片手にスルメかじって酒盛りをしているとかそんな感じ。「これ食え」って言いながらミカン放ってきたりとか。今考えるととんでもないカオスだった気がする。
ただ、こうしたカオスな状況が、日常的に利用する混雑した満員電車内で繰り広げられたら、迷惑だなぁと思っちゃうかもとも思う。おそらくは、状況の違いじゃないかなと。満員電車なんて基本的にはほとんどの人のパーソナルスペースを侵害するまでに他人同士が接近しているわけで、通常は不愉快な空間でしかない。そういった状況だからこそ、マナーとかモラルが問われやすいのではないかと思ったりする。もちろん、これは電車に限った話ではないけれども。
ただ、こうしたマナーとかモラルの問題が、ミニマムな文化や価値観の対立に至ってしまうと話がこじれてくるのではと思うのよね。もちろん、そうした対立を起こすのは、その文化・価値観にどっぷり使っている人と、その文化・価値観に過剰な拒否反応を示す人くらいなものなのかなと。ただ、その対立を激化させるのはその中でも一部の人たちなんだろうけど。価値観の違いを盾に迷惑行為*1を正当化しようとする人とか、思い込みに過ぎない「マジョリティとしての良識」から過剰な批判を繰り返す人とか。
ちなみに、一般的に通勤電車、バスで不愉快に思う行動はこちら。

この行為はマナーやモラルに反している!というのは、やはり自身の価値観によってしまうところが大きいと思う。こうした問題は、実際にマジョリティがどう考えているのか、というところで考えるべき問題でもあるのかなと思う*2。そうした意味では、こうした調査ってとても重要なのかなと思ったりもする。
その上で、現代は多様な価値観、多様な文化が(一応は)是とされる時代なわけで、そうした時代にこそ、相容れない文化・価値観でも理解する、というマナー(作法)が必要とされるのではないかなと思ったりもする。
なんかすっきりしない結論だなぁ・・・。

*1:迷惑行為の線引きが難しい領域もあるだろうけどね

*2:マイノリティを無視しろ、というわけじゃないけど