作られる二次ロリオタの「性犯罪者予備軍」像

一連の議論の中で、

「二次ロリ描写を非難するのであれば、小説やドラマ内の殺人描写だって非難されるべきじゃないか!」

という意見を目にする。
個人的には、そうした批判を繰り返していると、そちらも問題です、何とかしましょう、という神がかり的な切り返しもありそうだなと思えるくらい相手なので、あまりこうした批判はよくないのでは?と思ってしまうところもある。
ただ、こうした指摘を見ていて思ったことがある。もちろん、向こうさんが二次ロリはNGで、ドラマや小説の殺人描写はOK、と思ってるかどうかはわからないけれど、一般的な人の感覚でいえばおそらくはそうだろう。ドラマや小説の殺人描写に対しては、あまり過激でなければそれほど影響はないよね、と思いながらも、二次ロリに対しては子供をターゲットにした性的犯罪に結びつきそうだ、と考えてしまうのかもしれない。
その理由として考えられるのは、1つには一般的には視聴者は殺人描写が見たくてドラマや小説を読んでいるわけではないが、二次ロリの場合は、性欲を満たすために二次ロリに接触しているのだ、だからそうした犯罪に直結するのだ、というものがあるだろう。
ただ、これに対する反論としては、人が持つ性欲は二次ロリに向かったものであろうと成人ポルノに向かったものであろうと*1、おそらくは同様のものだろう。少なくとも、前者が異常なほどの性欲解消への執着を見せているということでもない。
でも、おそらくは二次ロリ愛好家を異常な趣向の持ち主だ、と一般の人は考えるだろう。だから、その性欲も行動も異常であろうと推測するのではないか、と思うのだ。

モラルが理解を阻害する

この問題は、対象を理解していない、理解する気もないということがその背景の1つとしてるのではないかと思う。その対象とは、「二次ロリ」そのものと「二次ロリ愛好家」の2つ。
もちろん、「二次ロリ」そのものは私も理解し得ない部分もある。二次ロリを見たところで、私の情欲が掻き立てられるということもないし、それを求めるということもないだろう。だから、なぜそういった対象に情欲をかきたてられるのかを理解するのは難しい。ただ、それがどのように影響するのか、というころを考えることはできる。それもできるだけフェアに。二次ロリへの接触が実際の児童の性的被害を促進してしまうのか、抑制できるのか*2、それについては考えることはできるし、調べることもできる。ただ、それが明確に影響を及ぼしている、ということが明らかにされていない以上、どのような仮定のもとに議論を進めるにしても、仮定という制限を越えることができない、ということは考慮されなければならない。
しかし、それをフェアに考えられず、一方的な決め付けによって二次ロリを排除しようとする人たちもいる。「二次ロリ愛好家は、本当は実際の児童に対して性的行為を行いたいところを、その代わりとしてマンガやアニメなどで子供を性的虐待しているだけだ。何かのきっかけがあれば、実際の子供に危害を与えるに違いない」、そう考えているようにも思える*3

「おまいら」の好きなもの

しかし、私はそうは思っていない。彼らの対象はあくまでも目がギョロギョロしていて、輪郭が実際にはありえない形状をしていて、髪の色がやけにカラフルで、ありえない頭身比をしている・・・、おまいらそうなんだろう?
みんながみんなそういった層ではないのかもしれないが、少なくとも私が擁護しようとしている人たちはそういった人たちであるし、こういった文化を支えているのはこういった層なんだと思っている。
もちろん、一部には実際の児童に対する幼児性愛者が含まれているということも否定しないし、実際にそういった画像などを見ると、実際の子供に対してもそういう欲求あるんじゃねーの?と思わないでもないのだが、でも私は「おまいら」を少しは知っているんだよね。すーぐ

  _  ∩
( ゚∀゚)彡 ょぅι゛ょ!ょぅι゛ょ!
 ⊂彡

とかやるし。少なくとも私が見ている限りでは、「おまいら」の対象は2次元であり、それをネタ(ネタ的な意味で)として、またはネタ(性的な意味で)として消費しているように思える。あいからわずお馬鹿だね〜と生暖かく見てきているからこそそう思えるのかもしれないけど。

その考えの中にリアルな「おまいら」はいるのか

でも、そういった「おまいら」を知らない人画作り出すイメージは「幼児性愛の犯罪者予備軍」なんだろう。彼らが作り出す「おまいら」像は「おまいら」を見てのものじゃないのだと思う。おまいらの好きな二次ロリモノを目にし、児童に対する接触犯罪を犯す犯罪者を想像し、そこから二次ロリ愛好者像を作り出すんじゃないのかな。だからこそ、

摘発を逃れるため、過激な性描写の媒体はアニメやゲームに移行してきた
〜 中略 〜
バーチャルな世界で欲望を膨らませたマニアが殺人まで犯している

Yahoo! JAPAN - セキュリティ特集 2008春

なんてことがいわれてしまうのだろう*4。しかし、こうした考えに至ってしまう人たちが見ているものは、二次ロリ画像などから作り出される「異常な」愛好者像と、実際の犯罪者なんじゃないのかな。特に後者なんかは、事後的な説明ができる部分でも、強力に影響するのかもしれない。でも、本当に愛好している人たちをステレオタイプなく目にし、その話を聞いたことがあるんだろうか。
そう考えると、小説やドラマなどでの殺人描写が現実にはほとんど影響を及ぼさないだろうと考えられるのも、その影響を受けるであろう人々を知っているから、直感的に「大丈夫だ」と思えるのではなかろうか。
この一連の問題についての意見を各所で目にしているけれども、二次ロリに対する規制に賛成する人たちの中には、性的表現に対する否定的な態度、二次元(アニメ)表現に対する否定的な態度*5、一部鬼畜系表現に対する否定的態度、児童ポルノに対する否定的態度などが、二次ロリ規制に対する肯定的態度に影響しているのではないかな、と思うところもある。
こうした規制を考えるのであれば、少なくとも「おまいら」を見なきゃいけないと思うんだよね。規制の根拠は予測力にあるべきで、事後的な説明力だけでは足りないだろう。

終わりに

やはりどうしても私には二次ロリの必要性は理解できないのだけれど、それでもそういった趣向のある人にとっては必要不可欠な存在であるということは理解している。
私は以前、二次ヲタどもは三次元に敗れて、その代価として二次を求めているものだと思っていた。もちろん、そうした可能性は未だに否定できないかなと思うところもあるのだけれど*6、それでも二次を好きな人って、二次を二次として好きなんだよね。逆に、二次は三次では代価できないものなんだとも思う。だからこそ、そういったものを奪われる恐怖というのは、並々ならぬものなんじゃないかなと思う。少なくとも、私が音楽を「人を堕落させる可能性がある」って理由で制限されるようになれば、同じように反発しただろうし。好きなものを曖昧な理由で禁止されるなんて、おいそれと認められるものじゃない、って部分では共感できるんだよね。
とりあえず、今回のエントリは、規制の良し悪し云々というよりは、なぜ「性犯罪予備軍」像が作られてしまうのだろう?というお話でした。

*1:これら2つは被害者が存在しないもの、という点で同じである

*2:ただ、私が知る限りでは促進効果も抑制効果も明確ではないように思える

*3:その辺は、「二次ロリがガス抜きになっていて、そのおかげで性犯罪が抑制されているのだ」、という主張の裏返しでもあるのかもしれないけどね。

*4:ちなみに、この記事は取材した部分については詳細ですばらしいと思うのだけれども、筆者の論理展開にはかなり問題があるように思える

*5:オタクスティグマ的というか

*6:しかし、二次も好きだし三次も好きだという人もいるし、最初から二次に惹かれることもあるんじゃないかと思うところもある