新参が増えると途端につまらなくなったとよく聞くけど

実際にそういうことってあるよね。
あるサービスやコミュニティにおいて、「新参が増えてつまらなくなった」といわれる状況が本当につまらないかどうかは別としても、少なくとも言っている本人はつまらないと感じているんだろう。
そういったときはだいたい「近頃の若いもんは・・・」とか「昔はよかった・・・」というような苦言が呈されたりするんだけど、突き詰めると「世代間闘争」もしくは「コミュニティの変質」またはその両方が入り混じってるんだろうなぁと思える。

近頃の若いもんは・・・?

「世代間闘争」って言っても戦っているというよりは、互いに相容れない価値観があるといったほうがよいのかもしれない。「近頃の若いもんは・・・」といってしまうのは、1つには自分自身の若いころを忘れている*1、もしくは年をとった分だけの知識や経験を踏まえているということがある。もう1つには実際に世代間で価値観が違う部分もあるということもあるだろう。
どちらがどうとは言い難いところもあるけれど、こうした苦言が古くから絶え間なく言われてきたことを考えると、世代間の価値観の実際のずれだけでは説明がつきにくいかもしれない。
自分自身の若い頃がどうであったか、というのは少なくとも自分自身が連続した存在である以上、客観的には捉えにくい。その一方で、最近の若いもんは自分自身に比べて非連続な存在であるために、客観的に捉えることができる。
ただ、客観的に捉えることができるといっても、それを捉える主体となるのは主観的なヒトであり、いわば主観的な客観性を持って判断することになる。世代が異なるために得られる情報は限られているし、当然そこにバイアスがかけられることで判断に用いる情報は選択的に、解釈は多少ゆがめられたものになる。
「近頃の若いもんは・・・」というと、おっさんが若者に文句を言っているだけの構図で捉えられがちだが、いずれの時代においても若者は何らかの方法で大人に抵抗してきたということを考えると「大人は何もわかっちゃいない」という若者の反抗もまた、少なくとも「近頃の若いもんは・・・」と同じ原理に基づいている部分もあるのかもしれない*2
ただ、価値観が違うということが理解されたとしても、なぜネガティブな評価に偏りがちなのか、ということまでは説明はできないかもしれない。そもそも、どの世代にだってはた迷惑な輩が一定数いるのに、なぜ他の世代のときにだけ事にその世代に対してネガティブな評価を行うのか。
個人的な推測でしかないけど、それは自分の属する世代におかしな輩がいたとしても、それは例外であって他の人はいたってまともと考えるかもしれない。また、それはおかしいのではなく、ネタであり、個性なんだと思うかもしれない。一方他の世代におかしな奴がいた場合には、それがその世代全体がおかしいのだ、と考えてしまうんじゃないのかなと。いわゆる内集団バイアスとかその辺のお話。

昔はよかった・・・?

とはいえ、実際にコミュニティは変化するものなので、一概に世代間の対立とかそういった説明だけというのも不十分かなと思う。そもそも、同じ世代であっても、世代に関係なく相容れない場合はあるわけでね。
アーリーアダプターとかそういうかっこいい言葉を使うつもりはないけど、パワーを持ち始めるコミュニティとかユーザ参加型のサービスって、その段階に至る時点では、ガチムチのマッチョユーザがコアに存在している。凝集性が高くて、明示的なルール、暗黙のルールが比較的浸透している場合が多い。明示的なルールというのは、サービスやコミュニティが明確に定めているルールであり、暗黙のルールとはそのサービス、コミュニティが持つ「場の空気」的なルールである。ただ、それらサービス、コミュニティがパワーを増せば増すほど、どんどん新たなメンバー、ユーザが参入してくるし、一定の固定メンバーばかりの世界は崩れていく。
その新たなメンバーの増加が早ければ早いほど、それまでに培ってきたサービス、コミュニティの明示的、暗黙的なルールを逸脱するユーザが絶対数として数多く現れてくる。いわゆる古参メンバーはそうした流れを快く思わないだろう。実際はどうであれ、彼らはサービス、コミュニティに力をもたらしたのは我々であり、我々の大切にしてきたルールなんだ、と感じているだろう。
明示的なルールが破られるのであれば、対処のしようはある。しかし、暗黙のルール、場の空気的なルール破りに対しては、なんら対処のしようはない。だが、古参メンバー、ユーザたちはそうしたルール破りに対して敏感である。もちろん、新参メンバー、ユーザたちはそうしたルールを意図して破っているわけではない。彼らには、そのルールが存在するという知識も、その前提となっているコンセンサスもない。
ユーザ同士のコンセンサスの元に作り出されたルールは、そのコンセンサスがあってこそ面白く、楽しいものである。だから、新たに入ってきたユーザにとっては、それのどこが面白いの?どんな意味があるの?と首を傾げたくなるようなルールもあるし、なぜそんなつまらないものを守らされる必要があるのかと反発する部分もある。古参vs.新参の目に見える紛争としてはそういうところが大きいだろう。
ただ、実際に生じる論争は全体としてみればほんの些細な部分でしかなくて、大半の新参者はそんなルールや論争にはお構いなしに、自分たちなりの都合、楽しみ方で利用する。
それに対して古参たちは

自分たちの作り出してきた楽しさ/価値を享受するだけならいい、欲を言えばそれを盛り立ててくれればもっといい、だが、我々の作り出してきた楽しさ/価値をなくすのは止めてくれ、つまらないものにしてしまうのであれば、何もしないでくれ、こっちにこないでくれ

と嘆くものの、そういった現状を傍観するしかなく、批判するなり愚痴なり諦めて新天地を求めるなりすることになる。
ただ、場の空気というのはそこにいるメンバー、ユーザが何となく作り出すものであり、新参者が大量に入り込んだとしてもその新参者を含めた全体としてもまた、作り出されるものである。新参の感じる楽しさ/価値と古参の感じるそれとは異なるかもしれないが、新参も含めたコミュニティ、サービスによって、新たな楽しさ/価値のための暗黙のルールが創出される。一方からみれば再構築、もう一方からみれば侵略と略奪、と捉えられるのかもしれない。
場の空気を重視することは、凝集性の高いコミュニティを維持していくためにはとても重要なことだと思う。ただ、その一方で、場の空気を重視し、凝集性の高いコミュニティを作り出すことは、新たな参入者へのハードルを高め、排他的なサービス、コミュニティのままでいるということにもなりかねない。
どちらがよいのか、というのは一概には言いがたい部分がある。古参が作り出してきた暗黙のルールが秩序を保つことによって、その価値を生み出してきたサービス、コミュニティに、その価値を求めて新たなユーザ、メンバーが大量に参加してきた場合、その暗黙のルールを知らずに好き勝手に振舞うことによって、新旧ユーザ、メンバーの求める価値を減じるノイズが大量に発生し、それによって元々そのサービス、コミュニティが持ちえていたクオリティが失われるということもある。たとえばユーザ参加型のQ&Aサイトや2ちゃんねるの専門スレにおいて、作法を知らないままに質問、回答する人々が増えることでその価値が失われていくということも考えうることでもある。2ちゃんねるや掲示板でしばしば目にしてきた*3半年ROMれ」という言葉は、それを回避せんとするものだったようにも思える。また、新たなメンバー、ユーザを含めたサービス、コミュニティが作り出した楽しさ/価値が、以前と同等の、またはそれ以上のクオリティを維持するものであるという保証もない。
ただその一方で、古参が作り出したルールは、単に古参だけが楽しめるだけのルールでしかなくて、それについていけない人を追い払うだけのものであるかもしれない。新たなルールに置き換わることで、たとえ古参が愛想を尽かすことになったとしても、それ以前よりさらに多くの人々を楽しませる/価値を持つようなサービス、コミュニティになるかもしれない。また、結果的には古参であってもその新たなルールのほうが楽しく、価値があると思える場合だってあるだろう。

サービスの提供者、コミュニティの運営者から見ると・・・

そうしたユーザ、メンバーの思いがある一方でそのサービス、コミュニティを運営する側にも、より多くのメンバーを、ユーザをという願いもあるだろう。その点では、古参のユーザはコアとなる頼もしい存在であると同時に、排他的な疎ましい存在でもある。しかし、ただただ新たなユーザ、メンバーが入ってくるだけでは、上記のような問題が生じる恐れもある。実際、Diggに対してもそういった指摘がなされているし、newsing上原さんのぼやきもその辺にあるのだろう。たとえ、ユーザ、メンバーが増えたとしてもそれがなまくらになってしまえば、そのユーザ、メンバーすらいずれはそこを立ち去ってしまいかねない。
さて、悩ましいことは、そうしたサービス、コミュニティの質を維持したまま、ユーザ、メンバーを増やすことは可能なのか、という点だろうか。少なくとも、一般論としてYesだNoだといえるものではないだろう。個々のサービス、コミュニティがどのようなものであるか、新参の、古参のユーザ、メンバーが何を求めているか、というところを加味して考えなければならない。新たなユーザを増やすことに主眼を置くか、古参のユーザをとどめておくことに主眼を置くか、はたまたそれを同時に実現しようとするか、それはサービスやコミュニティの運営、提供側の目的に合わせた戦略が必要となる。最悪、失敗すればどちらも失いかねないのだが。
ただ、結局のところ変化を避けることはできない。コミュニティ、サービスで考えても、そのメンバー、ユーザは固定してはいないし常に流動している。そして、メンバー、ユーザ個人も時と共に変化していく。暗黙のルール、作法も決して固定しているものではない*4。それに対応させるためには、サービスの提供者、コミュニティの運営者もまた、戦略的に変化していかなければならない。1つには明示的なルール作りという点で、もう1つはその場に存在する暗黙のルールをスムースに変化させるためのスケーラブルな仕組みを考えるという点で。
それでも、どうやったって不満を持つ人は出てくることは避けられない。結局は、その数をどれだけ抑制することができるか、特にどの層から不満が上がることを抑制するか、ということを考慮して戦略を組み立てていかないといけないのかな〜ということを、BitTorrent等の海賊コミュニティを見ていて思ったりする。あの辺はコアメンバーあってこその世界なので、古参や暗黙のルールが重視されています。

*1:もしくはその文脈に都合のよいことばかりを思い出す

*2:まぁ、若者は反抗期もあるし、大人たちに依存しながらも従属している部分もあるから、一概に1つの原因だとは言えないけどね。

*3:最近はあまり目にすることもなくなったが

*4:新参者の流入によってそれが引き起こされると考えられるのは、単にその変化が急激なものであり、顕著に感じられるだけだと思われる