「現代の親」という存在はどこにいる?

先日、こんなエントリを書いたんだけど、
「親の無責任さ」を過度に一般化してはいないだろうか
やはり書き方がまどろっこしかったせいか伝わりにくい部分もあったんじゃないかなぁと思ったので、補足してみます。

フィルタリングの是非

私は未成年者に対するフィルタリングは「あってもいい」と思っている。未成年者といっても幅はあって、その段階段階に適切な情報に接触させる、不適切な情報は避けるべきだと思っているので、「選択肢」としては「あってもよい」と。
ただ、こうした考えであるので、段階によらず一律「未成年者向け」のフィルタリングを提供するというのもナンセンスだと思っている。その段階にあった適切なフィルタリングという点での精度を高める必要があるだろう。17歳にもなった子が小学生と同じようなフィルターをかけられているというのもおかしな話で、18歳になったら急に何でもアリの世界に変わるなんてのも変だ。
また、「段階ごとに」とはいえ、その段階とひとくくりにできるほど、個人差が小さいものというわけではない。ある部分での発達が早い子もいれば遅い子もいる。同じ段階とは言えども、「その子」にとってはまだ早い情報であるが、「この子」にとっては十分理解できるものとなっているかもしれない。適切な情報に触れさせないのも、不適切な情報に触れさせるのも、発達においては不健全なことだろう。その点では、複数の選択肢や、その柔軟な調整が必要となるだろう。
そうした段階に応じた、発達状況に応じた判断ができるのは親しかいない。そのデマンドに応じて、より適切なフィルタリングや、状況に応じた柔軟な調整などが求められると思っている。
もちろん、その段階、発達状況に「不適切」な情報とは何か、ということを侃々諤々やるのは必要だとは思う。現状では、不適切な情報とはこれだ、といえる状況だとも思えないし、思い込みや知識のなさによって過度にその範囲が広げられているかもしれない。そういった状況は是正されるべきだとは思っている。ただその一方で、どの発達段階、発達状況においても、いかなる情報への接触によってもなんら悪影響を及ぼすことはない、と言える状況でもない。
ただ、前述したようにそれは「親」が判断すべきことであり、社会の側が強制することでもないと思っている。それは、フィルタリングを一切認めないというのも、フィルタリングを強制するというのも、どちらもいただけないと考えている。それは「親の責任」のもとで判断すべきことだと思う。
まぁ、ここまでは個人的な考えに基づいているので、この辺は批判されてもしょうがないかなぁとは思っている。ただ、前回のエントリで言いたかったことは次の点について。

「ケータイがスケープゴートになっている」?

「携帯サイトのせいにする」ことで責任を回避している「現代の親」、こんな表現があったからこそ、前回のエントリを書いたのだと思う。「自分の子供たちが携帯でどんなサイトを見て、どんなことをしているのかを知らないから、携帯サイトを過度に怖がっているんだ」というならまだ理解できた。
しかしそこに「責任を回避したい現代の親」という、少なくとも私にとっては「空想上の生き物」が登場してきたことで、なんだかよくわからなくなった*1
確かにメディアではさまざまな親の悩みであったり、その異常さ*2が伝えられたりしている。しかし、そうしたものを「現代の親」と一般化できるのか、ということについては、私は保留すべき部分もあると思っている。情報の切り取り方、見せ方はメディア次第という断片的なものであるし、少なくとも私の経験的な部分からはそれを推測するに足る状況ではなかったから。
だからこそ、私はいわゆる「二次ロリ」表現に対する規制にも反対している。「二次ロリなんかを目にしているといずれ実際の児童にも危害を与える」というメディアが作り上げた部分もある「空想上の生き物」に対する脅威が根底にあるのではないか、と思っているためである。犯罪者はこういったものを愛好していた、これを愛好することで、こういった危険人物が作り出されるのだ、という何の因果的説明もない、思い込みだけの印象・・・、それはおかしい、というのが私の問題とするところにある。
少なくとも、私には「現代の親」という存在が理解できないし、ともすればそれはごく一部の例に注目が集まることで作り出されたステレオタイプではないかとすら感じている。「現代の親」というステレオタイプのもと、携帯サイト、インターネット、ゲームなどが問題視されるのは、そうした人たちが責任逃れをするためなんだと精神分析学的な親子関係の解釈に根拠を求める、私があのエントリに感じた印象はこんなところだ。だからこそ、「親の責任のあり方」というあのエントリとは間逆の、そして私の熱い「思い込み」の部分をぶつけてみた。

手短に言うと

「携帯がスケープゴートにされている」という主張に「親をスケープゴートにしてはいないか?」と投げかけてみた。あなたの持つ「現代の親」感はどこに依拠しているのだろうか。

*1:もちろん、そういう人がいないというわけでもないだろうが、それを一般化したかのような主張は受け入れがたい

*2:子供をお荷物のように考えているとか