えーと、ダブ☆スタってほどじゃないよ
個人的な意見としては、とりあえず「一番問題視されているところから何とかしていこうや」というスタンスかな。ゼロかイチかで考えてどっちかに分けて、片方の側がみんな同じ穴の狢ってわけでもないと思うよ。以上返信終わり。
政治家さんと著作権関連の話をしたことはないけど、権利者サイドの方とはやり取りすることがある。やっぱりそこで彼らが一番に問題視しているのは「デッドコピー」なんだよね。
二次的利用について
もちろん、二次創作などでの利用に関しても問題になっているし、そうした点についても議論になることはあるけど、その温度差はさまざま。きちんと許諾を得ないままの利用は認められない、という人から、公には認められないけどコッソリやっていれば特に問題視しない、宣伝になるなら文句は言わないけどそれを超えるようなものは認められない*1とか。あと、やり取りしたことはないけど、角川なんかはもうちょっとオープンなやり方をとっている。
いろいろ話を詰めていくと、そうした利用が経済的利益にどう影響しているか、というところの考え方に行きつく。
- デッドコピーがこれだけ横行している中で、オープンにすることは混乱を招くだけ
- 一定部分では認められるが、現実的にどこで、どうやって線引きをしてよいのかが難しい
- オープンにしたとしても、過大な解釈をした人がほとんどデッドコピーというものを二次創作だなどと言い出しかねない
- よりオープンに許諾をするにしても、その処理*2にかかるコストとそれによって得られる利益のバランスが…
とりあえず、現状では不確定要因が多すぎる、ということはよくいわれる。もちろん、こうした意見を権利者側の意見として一般化できるほどに多くの人と対話しているわけではないけれど、少なくとも私の実感としては、デッドコピー以外の部分、つまりコンテンツそれそのものとしての利用以外に対しては、複雑な思いを持っている、という感がある。まぁ、JASRACとお話したことはないが、彼らは「それでも払え」っていうだろうけど。
この辺については、権利者サイドとうまくやっていける部分もあると思う。ただ、個人的にはそういった「許諾」を超えて、非営利の「利用」に関しては経済的な損失を生まない限りは、ともすれば多少の経済的損失を生んだとしても、認められるべきだと考えている*3。ここまでいうと、それは行き過ぎ…、って言われちゃうんだけど*4。まぁ、それはそれとして。
その一方で、デッドコピーに対しては、みな一様に「認められない」というし、私もそう思う。
「デッドコピーはさすがに…ねぇ」
海賊行為は、宣伝になる、とか、損害を生み出す、とかいう意見はある。ただ、私としてはそうした意見はどっちもどっちで、現状がどうなっているのか、ということを考慮せずしてもあまり意味はない。オンライン海賊行為に限って言えば、消費者にとってそのデータはなにを意味しているのか。
たとえば、着うた。購買可能性がどの程度あったかは別にしても、少なくとも違法着うたによって得られたデータは、製品としてのデータとほぼ同一の価値を持つ。他にもP2Pファイル共有等で得られる音楽。現在ではCDというメディアがあるけれど、音楽配信がさらに高音質なものが当たり前になり、その利用がスタンダードなものになったらどうだろうか?海賊行為によって得られたデータが製品としてのデータと同等以上、ともすれば品質の高いもの*5となるだろう。
簡単にいえば、質の差が歴然としている時には、それはお試しになるのだろうが、果してその質の差が縮まってきたとき、ともすれば、その差がゼロになったときに、果してそれが対応するモノの購買に結び付くのだろうか、という疑問もある*6。まぁ、現状の権利者サイドのいう損害額自体は、理論的な額だったりするので、現実を反映しているものとは思っていないけどね*7
もちろん、デッドコピーじゃなければいいじゃん、などというつもりはない。たとえ、コンテンツの主たる部分を構成していなくとも、無断の使用、利用は避けるべきだと思うし、その一方で、自由に利用できるコンテンツが多数公開されており、少なくとも代価可能性はゼロではないのだから、そうしたコンテンツを利用すべきだとも思う。
だから、もっと健全な創作の連鎖の形が作れるんじゃないの?ということをクリエイターには言いたいし、ユーザにはそうした形から生み出されたコンテンツに目を向けようよ、と思う。
もし、何の気なしにYouTubeやニコニコ動画でデッドコピーをわかった上で見ているんだとしたら、今日から、今から変えようよ、と。さらにいえば、そうしたものを求めていなくとも、アクシデンタルな接触はあるから、ビデオ制作者に対して、オルタナティブはあるんだよ、と訴えているのよね。もちろん、デッドコピーを上げている人にも、それ、やめようよ、と。自分の曲を使ってくれ、という人たちがいるんだぞ、と。もちろん、そういった自分の曲を使ってくれっていう声が届いていないという現状があるわけで、だからこそ、どうすればいいのか、という話でもある。
まとめると
とりあえず、デッドコピーを求めるのはやめようよ、そうした状況が続いてもろくなことはないよ、というのが1つ。そして作品を作る上でも、使ってくれるな!というものではなくて、使ってくれ!というものをこそ、素材として用いるべきだ、というのが2つめ、そして、そのためにはどうするべきか、というのが3つめ。それが、前回、前々回の2つのエントリの要約かな。
もすこしメタな視点で見れば、権利者が何を望んでいるか、ということを考えて行動すれば、ちょっとだけ世の中がマシな方向に変わるんじゃない?という感じかな。もちろん、権利者といっても、Creative Commonsライセンスでコンテンツを提供する人も著作権者なわけね。彼らは著作権を放棄したわけではなくて、一部の権利(Some Rights)は保留した上で、自由な利用を促すために、すべての権利(All Rights)を保留するんじゃなくて、いくつかの権利(Some Rights)を自動的に許諾するという形をとっているだけ。もちろん、確信的な思想を持っているThe Pirate Bayとか一部の人たちなんかは、権利を破棄するという宣言をしてたりするけど(No Copyright, No License)。ある意味では、どの立場にある人も、自らの権利を行使している、という感じかな。求めるものが、それぞれに異なるってだけで、All rights Reservedなものは勝手に使うなよ、ってことだし、Some rights Reservedなら、ある部分は自由に使っていいよ、だし、No rights Reservedなら、好きにしてくれ、だしね。まぁ、書いてある以上は、その宣言をしているってことかと。
おわりに
個人的には、こうしたCreative CommonsライセンスやCGMのような、より自由な活動ってのは、ようやくスタートラインに立ちつつあるという印象を持っている。
世界中には創作を行っている人がごまんといるわけだけれど、その中で商業的にうまくいっている人ってのは、ほんの一握りに過ぎない。商業的な活動に乗れば、ある程度は満足いくだけの活動の場が与えられるけれど、そういった状況にない人は、地理的制限の下に活動を行うしかなかった。
でも、インターネットが登場したことでそれが変わってきたと思うんだよね。もちろん、登場してきただけじゃなくて、それが1つのアウトプットして選択されるようになった、ということが重要だと思う。ようやくインターネットを主戦場としている人たち以外の人も、こうした選択肢を利用し始めてきたかな、と。その結果として、インターネットを超えて影響を及ぼし始めたときに、何かが変わっていくのかなと思ったりもする。まだまだ夢物語かもしれないけど、そういう夢は嫌いじゃないもので。
*1:でも、公には認められないけど
*2:許諾するための権利処理も含めて
*3:もちろん、この「多少」ってのがずいぶん曖昧だというのは理解している。ただ、結局のところ、こうしたフェアユース的な概念を導入したとしても、紛争が生じたときには裁判で決着をつけようということになるわけで、そうしたときのための予防線として、必要なのかなと思ってる。
*4:それでもこの部分を理念としては共感してくれる人も少なくないよ!ただ、現実には難しいって言われるだけで。…リップサービス?
*6:Free Economy的な考え方でいえば、そこにあるお金の流れを変えろ、ということになるのだろうが、無軌道な海賊行為をベースした戦略というのも無理がある。
*7:理論的にいえば海賊版が流通しただけ損失額となるんだろうけど、現実的にはそうした海賊行為によって抑制された購買こそが損失額なわけで。