我々が音楽に払うもの:Paying Money or Attention

前回紹介した秒刊SUNDAYの「もうCD買わなくていい!フリーの音楽共有サイト集45個」のブックマークページにこのようなコメントがあった。

kori3110 kori3110 知らん音楽と出会える場所は貴重だけども、それで好きになった音楽に金を払う余裕すら持てないような人生は嫌です。自分の思いをお金でしか表明できないなら迷わずそうするよ。

私もこの意見には同意したい。そしてさらに思うことは、「自分の思いを」お金以外の形で表すことも重要な時代となった、ということ。そしてそれは、自らの楽曲をCreative Commonsライセンスを利用してFreeに提供している人たちが望んでいるものでもある。そうした人たちは、好むと好まざるとにかかわらず、それを得るために無料で楽曲を提供し、自由に共有することを許す。

Paying Money

欲しいと思った音楽を手に入れる、そのためにはその音楽を*1購入しなければならない、という感覚は大方の人に共有されているだろうし、アーティストを含めた既存の音楽産業*2はそうした枠組みの上で利益を上げてきた。
多くの問題は抱えているけれども、こうした「音楽を売り、利益を上げ、更なる製作につなげる」という仕組み自体は、1つのやり方として望ましい形ではあると考えられる。少なくとも、そうした構造が存在するおかげで、数多くの音楽が生まれ、それにリーチすることが可能となっている。もちろん、こうした楽曲を消費者が購入することで、この構造は支えられている。つまり、このような構造は、「お金を払ってもらう」ことによって成り立つといえる。
しかし、消費者がみな、こうした構造から生まれた音楽にお金を支払うことなく音楽を入手するようになれば、この循環はとたんに立ち行かなくなる。現状の音楽産業側の叫びというのは、極めて誇張されたものだとは思うが、原理的には間違ってはいない。
つまり、現状においてメインストリームにある大半の音楽は、こうした「お金を支払ってもらう」ことを前提とし、それを要求する。こうした循環における「お金」が手段か目的かは別としても、それが必要であるということは疑いない。それゆえに、お金を支払わずに楽曲を入手されることを制限しようとする。

Paying Attention

一昔前であれば、インディペンデントなアーティストが、自らの音楽を世界中の人に聴いてもらう可能性は、ほとんどゼロに近かった。世界中に自らの音楽を届けることができた人は一握りで、よほどの資金力を持つか、よほどの収益が見込まれない限りは、世界的な展開など絶望的であったろうし、それどころかインディペンデントなアーティストにとっては、国内全域すらカバーしきれなかっただろう。
しかし、今は事情が異なる。インターネットの普及によって、少なくともインターネットに接続されたPCを有している人たちに対しては、メジャーであれインディペンデントであれ、自らの音楽を届けることが可能となった。そのアーティストが自らの音楽を公開している限りは、リスナーがどこに住んでいたとしても、その音楽にアクセスすることができるようになった。
しかし、「アクセスが可能」であることと「アクセスする」ことは別である。自らの楽曲を公開したというだけで、音楽ファン*3がアクセスしてくれるわけではない。少なくとも音楽ファンがアクセスするためには、その楽曲を、アーティストを知らなければならない。
インディペンデントとメジャーとの間にそびえ立つ最大の垣根は、プロモーションがなされるか否かであると、私は考えている*4
メジャーなアーティストであれば、レーベルなどの資金を背景に自らの楽曲のプロモーションを行ってもらえる。もちろん、プロモーションを行ったからといって、それがリスナーに受け入れられるというものでもないのだが、しかし少なくとも、より多くの人に伝えることで、その楽曲を好きになってくれる人の絶対数を増やすことが可能となる。1万人に聞いてもらうより、100万人に聞いてもらった方が、その曲を好きになる人は多くなるだろう。音楽を好きになってもらうためには、まず聞いてもらわなければならない。プロモーションは、その聞くきっかけをリスナーに与える*5。そして、何度も何度も聞かせることで、その音楽を好きになってもらう。そうすることで、音楽ファンは積極的にその楽曲を聴きたくなる。
一方で、インディペンデントなアーティストにとって、自らの楽曲に触れてもらうための確立したアプローチは存在してはいない。現状ではかなりの部分で、偶然に頼ることに依存している。インディペンデントであるがゆえに、メジャーのようにプロモーションにお金をかけることなどはできず、それゆえに多くの人に「まず聞いてもらう」ということができないでいる。

なぜフリーで提供するのか

確かに現状では、偶然に頼る方法しかないかもしれない。ただ、その偶然の確率を上げるために何もできないわけではない。その1つの方法として、Creative Commonsライセンスを利用したフリーな楽曲の提供がある。

無料で提供すること

「無料であればよいのにな」と思うことはあっても、「無料だからいい」などということはない。無料で提供するだけでうまくいくなどということはない。
しかし、無料で提供することは、音楽ファンがその楽曲へのアクセスが可能となったときに、躊躇させないという点でメリットを持つ。MySpaceLast.fmJamendoのように、金銭的な問題を考えずとも音楽のディスカバーを体験できるプラットフォームが存在することは、音楽ファンにとっては望ましいことだろう。つまり、無料であることがよいのではなく、無料であることがリスナーに課せられた(金銭的)制限を考慮せずとも済む、という点に意味がある。
しかし、そうなるとMySpaceLast.fmのようにストリーミングにて提供すればよいのであって、わざわざJamendoのようにダウンロードさせる必要はないのではないか、と思われるかもしれない。確かに過去の実績を持つアーティストであればそれで良いだろう。ある意味では「確認」に近いかもしれない。しかし、そうではない、ほとんどの人に知られていないアーティストにとって、たった1度の接点が意味を持つことはほとんどない。彼らは継続的なアクセス・リーチを求めているのだ。リスナーに自らの楽曲をダウンロードさせるのは、ただ無料のほうがいいでしょ?という単なる好意ではない。あなたのPCに、iPodに、つまりあなたの耳に自らの音楽を注ぎ込む、つまり接近可能性を最大化させるための戦略でもある。
音楽というのは不思議なもので、聞けば聞くほどその音楽を好きになることが多く、また、好きになればますますその音楽を聴きたくなる。もちろん、聴きすぎて飽きたということもあるかもしれないが、それでもある種の楽曲においては、何度も聞くことで好きになる、ということはしばしばある。自らの音楽を無料で公開する人々はそれを求めているのだ。何度も楽曲を聴いてもらうことで、その楽曲を好きになってほしい、そして自らの存在に、それ以外の楽曲に興味を持ってほしい、ということなのだろう。

無料を超える価値

こうして考えてくると、楽曲を提供することで得られる対価は、単純に「Money(お金)」だけではない、と思える。確かに、我々が慣れ親しんできたいわゆる商用音楽は、対価としてお金を要求する*6。しかし、Creative Commonsライセンスを用いて、自らの楽曲を無料で提供するアーティストたちは、少なくとも短期的には楽曲を提供することへの対価としてお金を求めているわけではない。長期的な視点で見た時には、将来的にお金を得るためのプロセスと考える人もいるのだろうが*7、少なくとも短期的には自らへの「Attention(注目)」を生み出すためにそうしているのだろうと推測される。
メジャーな音楽がこの「Attention」を生み出すためにどうしているかというと、上述したように既存のプロモーション手法を用いている。そしてその至近的な目的は、当該の楽曲を購入させることにある*8。そういった明確な目的があるがゆえに、たとえ海賊行為がAttentionを引き起こしてくれるのだ、といったところで、そうやすやすとそういった考えを許容しえない*9。もちろん、リスナーの口コミやレコメンドもあったほうが望ましいと思っているだろう。しかし、それは購入の結果として副次的なものとしてなされ、さらにその購入が連鎖している限りにおいては、である。
しかし、こうしたメジャーな音楽がAttentionを向ける方向は、その製品としての音楽であることが多い。それは、その音楽を販売し利益を上げることを目的としている以上、当然のことであるが、一方で、CCを利用するインディペンデントな人々はそのAttentionの方向をどこに向けたがっているのだろうか。これは言わずもがな、彼ら自身の「存在」であろう。もちろん、ただ「目立ちたい」という簡単な話ではなくて、アーティストとしての存在とそれが生み出す作品という広範な自己に対する注目なのだろうと思ったりもする。
つまり、こうしたインディペンデントなアーティストにとって、作品を経済的には無償で提供する場合でも、その対価としてリスナーの「Attention」を、そしてさらにそこから派生するものを期待しているのだと考えられる。

自由に共有させること、自由に共有してもらうこと

CCライセンスにてコンテンツを提供するアーティストは、リスナーの利便性だけを思って共有を許諾しているわけではない。戦略的なものであれ、思想的なものであれ、むしろ、共有してほしい、共有してくれ、という印象を受ける。それがまさに「Attention」から派生するもの、である。
インディペンデントのアーティストは既存のプロモーション力に頼ることはできない。それゆえ、そうした状況においても活用できる*10チャネルを利用せざるを得ないし、その効果を最大化させることが必要となる*11。そうしたチャネルの1つに、リスナー同士のレコメンドがある。直接の対面であれ、ブログの書き込みであれ、ファイル共有フォーラムであれ、ポッドキャストであれ、リスナーが利用する多種多様なチャネルに、自らの存在を露出させることが、プロモーションとなる。ただ、そうした連鎖が生じるのは、作品の質にも依存するし、運・不運に左右されることは致し方のないところではある。

理想的な展開として:経済的な利益は?

経済的な利益に関して言えば、アーティストは自らの楽曲そのものを無料で提供してしまっているために、再び同一のものから利益を上げることは難しい。ただ、あくまでも理想的に行けば、という仮定の上で少し考えてみたい。
まず考えられるのは、ファンになってくれた人たちからのDonation(寄付)がある。ただ、これはあくまでもファンの熱意を感じるには十二分に機能するものであるが、安定した利益とは現実としてなっていない。また、CCライセンスにて楽曲を提供しているアーティストであっても、商用のCDを販売している人たちも多い。そうした人たちの場合には、ファンになった人々が、より高音質かつ安定したメディアとして購入してくれるかもしれない。また、リスナーのサポートしたいという感情も付与されるかもしれない。ただ、MP3で手に入れば十分だ、という人も少なくないだろうし、CCで提供しつつ、商用音楽配信サイトにて提供をしているアーティストもおり、必ずしも利益につながるわけではないし、ともすれば少ない利益をさらに少なくする可能性もある。ただ、リスナーへのReachabilityを増大させるために支払ったコストであるともいえる。最後に、これがもっとも盛んに叫ばれていることであるが、ライブへの参加やグッズ(Merchandise)の購入などを促すことで、利益を上げることができる、
また、この理想的展開のさらに先の話になってしまうが、こうした実績をあげることで、レーベルとの契約にこぎつけることができるかもしれないし、非商用のライセンスで提供している楽曲であれば、商用利用の際に使用料を獲得できるかもしれない。
ただ、ここに記したものはあくまでも理想的に行けば、という話である。

お金を払う必要はない、だがそれは無償ではない

こうした状況をリスナーサイドから見てみよう。これまで慣れ親しんできた商用音楽の場合、レーベル等のプロモーションによって比較的「受動的」にその楽曲に接することになる。さまざまなメディアを介して、その楽曲に関する情報が伝えられ、テレビやラジオではその楽曲が何度も繰り返し流されることになる。それを元に、リスナーは特定の音楽を求める*12
一方で、CCライセンスによって提供される楽曲は、ほとんどの場合、リスナーが「能動的」な探索を行った結果として、接することになる。もちろん、その際にリスナーの感情を動かすようなものでなければ、一度きりの接触で終わってしまうことになるのだろうが、もし、その楽曲にグッときた場合にはダウンロードするだろう。
確かにそのダウンロードにはお金はかからない。しかし、そのためにリスナーはコストを支払うことになる。冒頭にあげた秒刊SUNDAYのエントリのはてなブックマークコメントが示唆的である。

rxh rxh 探し出す手間を金で買う…

この指摘は、自らが欲しいと思う楽曲があり、それを元エントリに列挙された怪しげなサイトからダウンロードするよりなら、実際に購入してしまった方が早い、ということなのだろうが、「手間」と「お金」とを考える上では重要な指摘であると思える。
ここにもコンテンツを無料で提供する理由の1つがあるのだと思う。簡単にいえば、手間とお金との両方をかけることは、リスナーを遠ざけてしまうということ。少なくとも、自らの楽曲までリーチしてもらうためにはリスナーに手間をかけてもらわざるを得えず、そのハードルを下げるためにはお金というコストを取り除くというのも1つの手として考えられる。
ある意味では興味深い対比であろう。リスナーにリーチするという点において、商用音楽はその手間をプロモーションによって解決し、対価としてのお金を要求する。その一方でCCミュージックはお金というコストをかけないことで、対価として手間と注目を要求する。いずれにしてもノーコストというわけではないのである。
ただ、無料で手に入れる代わりに、手間をかけ苦労しなければならないか、というと必ずしもそうなるわけでもない。インターネットは無軌道ではあるが、大量の、多様なリソースを保持している。そのリソースの源泉は1人1人のユーザであり、そうした人々のリソースの集積が様々な利便性を生み出す。
すぐれた楽曲を見つけるまでが手間だと考える人がいる一方で、そうした音楽のディスカバリーを好む人もいる。いろいろな音楽を聴き、自らの好きだと思える楽曲、アーティストへの出会いを求める旅は、それはそれで1つの楽しみともなる。そうした人々が、その旅の過程で見つけた楽曲やアーティストを紹介することで、その手間をかけたくないという人の助けとなるかもしれない。また、そうした音楽ディスカバリー好きともなれば、自らがグッときた音楽を積極的にレコメンドしたい、という人々であることも多いだろう。こうしたリスナー間でのレコメンドは、そのアーティストの存在をより広範囲の人に広めてくれるものでもあり、CCライセンスにてコンテンツを提供するアーティストにとっても、望ましいことなのだろう。
また、CCライセンスであるために、自らの作品を制作するために二次的に利用することも可能である場合が多い。もちろん、アーティストのクレジットを表示することが必要になるのだが、それを守っていれば、二次創作者にとっても、元楽曲のアーティストにとっても、Win-Winの関係を保ち続けることができる。
もちろん、そこにも「手間」が存在することで、せっかくより自由な利用を認めているコンテンツがあるにもかかわらず、楽曲との出会いがほとんどないケースが多い。

y_arim y_arim 買ったほうが早いなこりゃ。/「フリーの音源サイト集」作ってもらったほうがよほど役に立つのだけどなあ。MAD作りたい人とかにも。

ここで言われているように、そうした出会いの間に入る人が存在することが「役に立つ」のかもしれない。もちろん、その間に入る人こそ、リスナーであろう。

おわりに

なぜ、私がJamendoをしばしばプッシュするか、ということをお話したい。1つにはCreative Commonsライセンスの下、コンテンツを提供するアーティストの共感しているということがある。少なくとも、ここで自らの楽曲を提供するアーティストたちは、より自由な音楽文化に対して理解を示す人たちだろう。それに対して純粋にうれしいという気持ちがある。
また、もう1つの理由としては、Jamendoで出会った音楽やアーティストが、本当に良かったということがある。私は一音楽ファンとして、単に理念に共感したというだけでは紹介し続けたいとは思わない。ミュージックプラットフォームとしてレコメンドする以上、そこにある音楽が素晴らしいものでなければならないと私は思っている。確かにJamendoにいる大半のアーティストは、インディペンデントやアマチュアだ。しかし、そこで提供される楽曲がメジャーな人たちの提供する楽曲に比べて見劣りするか、と問われれば私はそうは思わない。もちろん、中には素晴らしいとは思えない*13ものも存在する。しかし、それはメジャーであっても同様の話だ。少なくとも、私は非常に魅力的なアーティスト、楽曲にJamendoで出会った、だから私はあなたにお勧めしたい。
そして最後に、そして最大の理由として、上記に記したような仕組みをうまく働かせるには、インターネットユーザのコミットが必要不可欠であるからである。Jamendoというサービスを、そこに楽曲を提供するアーティストを、そこに提供された楽曲を、広めてくれる人々がいてこそ機能しうる。もちろん、偉そうなことを言っておきながら、私自身そうしたことをしてきたか、といわれると自信はない。だから、これから少しでもそうした仕組みに貢献するような何かをしようと考えている。それほど大したことはできないだろうが、1人でも、2人でも、少しでも多くの人にこうした仕組みへのコミットを促せれば、と考えている。


権利者たちが、我々の曲を無断で使うなというのは理解できるし、勝手に使うなというのであれば、そうすべきだろう。お金を支払うから利用させてくれ、といっても利用させてくれないのであれば、諦めるしかない*14。しかしその一方で、是非とも自分たちの曲を使ってくれ、という人たちがいる*15。私はそういう人たちをこそ応援したいし、そうした人たちと、それを利用してくれる人たちとをつなぐための手助けができれば、と思っている。

*1:いかなるメディアであれ

*2:この場合は特にレーベル

*3:広義の意味で。少なくとも、音楽を聴くことをポジティブに感じている人たち。

*4:音楽に関して言えば、メジャーとインディペンデンスの間に質の違いというものはほとんど存在しないと思っている。

*5:既存のファンベースに対しては楽曲をリリースしたことを伝えることで、聴くきっかけを与えるし、それ以外に対しても、CMやラジオ、テレビでの露出によってきっかけを作り、音楽を聞かせることができる。

*6:これは決して悪いことでも何でもない。

*7:もちろん、フリーカルチャーな考えから、CCライセンスを利用している人たちもいる

*8:究極的な目的は、それにかかわるプレイヤーそれぞれに異なるのだろうが、とりあえず至近的な目的としては利益を上げることに収束するだろう。というと、商用アーティストでもそんな下世話な考えの人ばかりではない、といわれるかもしれないが、商用アーティストであっても、そうした商業活動を行う以上は、利益を至近的目標としているのは間違いない。ただ、そういった人たちは、究極的な目標として利益を求めているのではなく、究極的な目標を達成するための手段として、至近的な利益を上げることを必要としていると考えているのだろう。

*9:当然、その効果に対しても疑念を持っているであろうし。

*10:つまりは極めて低コストな

*11:もちろん、可能性の域を超えた、確実な効果などが期待できるものではない

*12:一般的には、ね。

*13:私の感性では

*14:ビデオ共有サイトと著作権管理団体との提携が進んでいる一方で、依然として原盤(録音されたもの、つまり著作隣接権の範囲)そのものは利用できないし、今後それが改善するとも思い難い。

*15:CCでいえば、改変を許すライセンスにて提供されている楽曲