与えられた「変化」は安心して許容できる
もはやいろんな垣根が徐々におぼろげに成りつつある一方で、そうした変化はなかなか受け入れられにくい。
もちろん、既存の枠組みがあってそれを元に考えるからこそ、不安になったり、不快になったりするんだろうけれど、実際そうした過去の枠組みが不変であったかというとそんなこともなく、時代と共に変化を続けてきた。
ただ、そうした変化は、徐々に浸透してきた、とか、時代ごとに軋轢はあったけれどもはや過去のこと、とか、そういう理由でそれほど気づかれにくいのかなぁと思っている。さらに言えば、そうした変化もトップダウン的なものであって、それゆえにその変化の送り手と受け手とが隔絶された存在だったのかもしれない。
でも、このインタラクティブな現在にあっては、ボトムアップ的な変化が生まれる余地ができてしまった。トップダウン的な変化であれば、否応なく受け入れなければならないし、そうした変化を起こせるプレイヤーは限られていて、たいてい権威がある。責任の所在もはっきりしている。だから、たとえそうした変化に気づいたとしても、ある程度は安心して許容できる。ただ、ボトムアップ的な変化は、その変化を拒否することもできるし*1、権威もなければ、責任の所在も明らかではない。だから、ボトムアップ的な変化は、既存の枠組みをベースにすれば、なかなかに受け入れがたいものなのかもしれない。
なんてことをAdsense周りの議論を見ていて思ったり。
ちなみに…
広告を出すのがフェアかアンフェアか、って話はある側面から見れば、消費者の選択を自らの利益に沿った方向にねじ曲げるソーシャルハックみたいなものだから、広告全体としてアンフェアだとも言えるんだよね。、もちろん、「今となっては」広告を出すこと自体をアンフェアだとは思わない人がほとんどだろうけど。
*1:少なくとも、スタンダードになるまでは