必ずしも「作品への対価=お金」ではない

少なくとも私の観測範囲にいる、一部のインディペンデントなミュージシャンたちにとっては。

最終的に対価を払うかどうかを決めるのは消費者です。
欲しくもない物に対価を払えという強制は出来ません。
しかし、対価を払いたくなるようにする、その道筋作りはしたい、というのが心情です。面白い作品、素晴らしい作品は読んでもらいたい・聞いてもらいたいわけです。
その対価を払いたくなるくらいに気持ちを高めさせる手段はやっぱりあるんじゃないかなとは思います。思いたいです。

作品に対価を払うことは、自分のためになる。胸をはれ! - たまごまごごはん

おそらく、既存のメディアや、その中でアテンションを集めることのできるプレイヤーにとっては、これは真実であるのだろう。ただ、供給過多のオンライン環境でミュージシャンとして生きていくことを決意した人達にとっては、これまでのような考え方は当てはまらない部分もあるのかなと思うところもある。

少なくとも、Creative Commonsライセンスを採用し、オンライン環境においてより自由な形で自らの作品を公開している人々にとっては、必ずしも「対価=お金」ではない。彼らにとっては、お金(自分への支払い)よりもアテンション(自分への注目)の方がプライオリティの高いものだろう。

たとえば、ファンを持たないアーティストがいたとして。彼/彼女が楽曲を有料でリリースしたところで、その購入可能性のある人々は、ほぼゼロだろう。もちろん、酔狂な人が購入してくれるかもしれないけれど、露出がなければ誰も見向きもしてくれないというのが現実。ある程度のアテンションを集めてこそ、スタートラインに立ったといえる。

要は、アテンションを集められない状況では、マイクロペイメントが可能になり、サポートしたいというリスナーが1,2クリックでペイすることができたとしても、サポートしたいというリスナーに出会うことができないということ。

だからこそ、こうしたアーティストたちは、まず第一にアテンションを求める。しかし、彼らはメジャーレコードレーベルのように多額のプロモーション費用を捻出できるわけではない。だからこそ、手にしている数少ない財産、つまり楽曲を担保にプロモーションを行い、それ以降に生じうるダイナミクスに期待する。10人のファンがいたら、その10人のファンからの金銭的なペイを期待するのではなく、10人のファンが広めてくれる自らへのアテンションに期待するのである。さらにいえば、そうして広められたアテンションが、さらに拡散することを期待する。

自らの存在を最大限広めてくれること、それこそが彼らにとって最良の『対価』なのだから。彼らは単にMySpaceYouTubeといった、自らがコントロール可能な場所に音楽をアップロードするだけではなく、個々のリスナーが好きなように広めてくれる可能性に期待しているからこそ、Creative Commonsライセンスを選択している。

詭弁?本気で言ってるよ

これまで主にP2Pファイル共有ネットワークでの海賊行為に関する話題を伝えてきたせいか、こうしたことを書いても単にP2Pファイル共有擁護的な意見として捉えられちゃうかもしれないけれど、そうした考えを抜きにしてもこのエントリで書いたことは真実だと思っている*1。逆に、この点に関しては違法ファイル共有ユーザに対して不満に思うところの方が大きかったりもする。

The Pirate Bayのような自由を標榜する確信犯的な人たちが「不自由なコンテンツを自由にする」ことを是としているという点では共感できるところもあるのだけれど、結局、彼らが実現しているのは「不自由なコンテンツを見かけ上、自由にしている」だけに過ぎない。その一方で、我々が望んでいる「自由なコンテンツ」*2は、依然としてその自由さにもかかわらずアテンションが得られずにいる。

違法ファイル共有ネットワークに流れるコンテンツの多くは、依然として自由な共有を望まない不自由なコンテンツであり、自由なコンテンツの流通はほとんどなされていないのが現実としてある。それは裏を返せば、どれほど自由を標榜している人々であっても、自らのアテンションを一部のメジャーなプレイヤーに握られていることに気づいていないということをも意味している。

自由なコンテンツを積極的に選択すること、それもまた、自由なコンテンツを提供してくれているアーティストにとっての『対価』となるのだろう。そして、それを気に入ったら誰かに伝える、その流れがアテンションを求めるインディペンデントなアーティストをサポートすることになる*3

もしあなたが自由を求めるのであれば、その輪に加わってくれることを願う。それは実に簡単なこと。たとえば、JamendoなどのCreative Commons Musicを集積しているプラットフォームで、自分が大好きだと思える音楽を探して、それを誰かに伝えてあげるだけで良いのだから。

終わりに


デジタル音楽の行方*4の翻訳者でもあるid:yomoyomoさんのWired Visionの連載にて、私のJamendo好きを取り上げていただけたのがかなり嬉しいので、その意趣返し*5の一環としてこのエントリを書いてみました。
yomoyomoさん、ありがとうございました。

*1:さらに追記しておくと、私は上記のような戦略が通じるのはよりインディペンデントなアーティストであって、既にアテンションを得て、巨大なファンベースを持つアーティストには適用しにくいものだと考えている。メジャーなアーティストのコンテンツの違法アップロードがプロモーション効果をもつという考えをにわかには受け入れられないのもそのため。ただ、違法着うたの蔓延に関しては、着うたがクリティカルマスに到達する一助にはなったのではないかと思うところもある。

*2:勿論、Creative Commonsライセンスでパブリッシュされているコンテンツは、完全に自由というわけではなく、一定の制約が存在している。ただ、それでも旧来のメディアが要求する制約よりは緩やかなものであり、オンライン環境では比較的自由に扱えるコンテンツであると思える。

*3:もちろん、金銭的なペイをすることも彼らを支えることにはなる。

*4:なんだかんだで未だに一番好きな本です

*5:良い意味で