最近の若者に殺される文化などない

最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか

ってエントリを読んで。伝統となった文化と今を生きる文化とは同列に語れるものではないし、その価値も縦断的、横断的に見て一様なものではないと思うんだよなぁ。

伝統文化に関しては、浅学なのでなんとも言えないけれど、それを守っていくだけの価値はあるんだろうなぁとは思う。

その一方で、今を生きる文化って、世代や文化を越えてフラットなものではないし、それぞれの層で時々刻々と変化を続けている。その中で生まれた文化らしきものが廃れたり、大きく変わってしまうことは時として残念なことではあるけれど、それはそれでしかたないことなのかなと思う。

もちろん、そう思うのは自分にとって愛着のあるものだからこそであって、自分にとってどうでもいいものなら、ビックリするほど残酷だったりもする。たとえば、ケータイ小説だってある種の文化らしきものとして見ることができるかもしれないけれど、虫酸が走るほどにそれを嫌い、とか、別にどうでもいいと考えている人であれば、それが廃れることに特に抵抗は持たないだろう。

また、世代や地域によってそれぞれに異なるといっても、時代を反映するという部分では共通するところはあるだろう。音楽1つとっても、レコード、カセットテープ、CD、MD、PC、携帯、ポータブルオーディオプレイヤーと、思い入れのある/使いたいと思うメディアは、世代によっても異なるかもしれない。それを考えると「音楽会社とかいらないと思う。ネットで販売すればいいじゃん。」というのも*1わからないでもない。

また、「音楽はタダでいい。」というのも、比較的ライトなリスナーにしてみればそれほど珍しい感覚ではないのかもしれない。で、そういったライトな層っていつか音楽を「卒業」したりとかするしね。

「本当に欲しいのだけ買うけど、それもネットで聞いて良かったら買う。」というのも、きっかけはおそらくテレビやラジオ、友人の着うたとかいうところなのだろうけれど、それでも実際によく聞いてみて購入するというのは音楽では当たり前の話。そもそも聞いたこともない音楽を買わせるなんてのは、ブランドを確立したプレイヤーにのみ可能なことで、そうでもない人たちは聞かれなければ購入してはもらえない。その辺は音楽のユニークなところで、たとえ1度フルで聞いたところで、好きになった音楽はやはりまた聞きたくなる。もちろん、1度見た映画のDVD購入もそれに近いところはあるのだけれど、それでもフルで体験しているにもかかわらず購入してしまうという傾向の強さは音楽ほどではないだろう。

この2つも、別に今に始まったことではないしなぁ。特にこの世代がというのはないにしても、クラシック愛好家が数多く存在した時代はなくて、一般的の人はあった方がいいけど、自分にとって直接必要だと思えることはほとんどない、というところじゃないだろうか。

これからを担う若者たちがみんなこういう考えだったらマジで日本終わるなーと思った。自分たちは何も文化を創り出さないくせに、文化を殺す方向にしか考えがいかず、その理由は、別に見てもしょうがない、という『必要でなければいらない』という発想。何故文化的なものにお金を払うことに対して積極的ではないのだろう?

最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか

うーん、元増田の妹さんだって、高校生としてある種の文化を担ってると思うけど。それを文化と捉えられない、というのはしかたないかもしれないけれど、しかしそれは誰しもが同じ目で見られうることでもあるんだよね。文化は何かを作り出すことだけでできているわけじゃなくて、それを共有する人たちが存在することで成り立つんだと思う。

「最近の若者は日本の文化を殺そうとしているのではないか 」というタイトルに反論するのであれば、日本の文化というフラットな文化は存在しないと思うし、最近の若者は最近の若者で、自らの文化を持っているのだと言いたい。そして、最近の若者ではない世代もまた、それぞれに文化を持っている/持っていた。それを引き継いでくれないから「殺されたんだ」というのはやはりおかしな話だよ。残したいなら、残したいと思う人たちがそれを守っていくべきだろう。

さらに言えば、伝統文化だから守るべき、ありがたがれというのもおかしな話で、じゃあ自分たちはその伝統文化の何を知っているんだ、と。確かに金をかければ生かすことはできるけれども、活かさないなら文化として死んだも同然だと思うよ。

*1:言わんとしていることは