なぜPandoraは日本で利用できないのか?:ネットラジオ大手の国際展開を阻む障壁

2007年5月初旬より、米国外での利用ができなくなっている音楽ストリーミングサービスPandora。リスナーの嗜好に合わせた選曲を自動的に行ってくれる素晴らしいサービスだっただけに、私の観測範囲ではあるけれども、未だに日本でも再開(再会?)を望む声は絶えない。

米国外へのサービス提供停止の際、Pandoraから届いたメッセージには、停止以前に利用されていたアカウントは削除せず、サービス再開後に利用できるようにしたい、とあった。

あれからもうすぐ4年が経とうとしている。Pandoraは米国でも屈指の音楽ストリーミングサービスとして成長を続け、7500万ユーザを突破した。一見、好調にみえるPandoraであるが、米国外での展開について、そして短期的な見通しについては、それほど良くないようだ。

2011年3月30日、サンフランシスコで開催されたNARM Entertainment & Technology Law Conferenceの基調講演(インタビュー)で、Pandora CEOジョー・ケネディは以下のように語っている。

国ごとに異なる著作権がPandoraのビジネスを制限する。
「この言葉が引用されるごとに1ドルずつもらいたいですね。『グッドニュースはインターネットがグローバルであること、バッドニュースは著作権法は国ごとに違うこと。』[...] Pandoraは今日まで、米国オンリーのサービスでした。その理由は、米国でのライセンシングが他国では通用しないこと、または、要求されるロイヤルティが現実的ではない(just not economic)ことにあります。」

Pandora CEO: The Complexity Of International Copyright Law Is A Big Problem | paidContent:UK

1ドルずつくれ、というのは冗談にしても、「他国では通用しない」というのは日本にも当てはまる。Pandoraは、米DMCAに規定された強制ライセンス(Statutory License)の仕組みを利用している。ネットラジオであれば、事前に許諾を得ずとも音楽をかけることができるが、かけたらその分きちんとお金を支払ってもらいますよ、と。日本では、放送においては同様の仕組みはあるけれども、いわゆるネットラジオ*1には適用されない。音源に関わる権利を有するレーベル等に個別に交渉していかないといけない。この辺りは、日本に限ったことではなく、むしろ米国の仕組みがユニークだということでもありそうだ。

また、「要求されるロイヤルティが現実的ではない」というのも、米国においてすらそうなのかもしれない。今年初め、Pandoraは新規株式公開に伴う資料を公開したが、収益の半分以上がロイヤルティの支払いに消えていくという。paidContent.orgによると、2010年会計年度9ヶ月間で、Pandoraは権利使用料として4,500万ドルを支払ったそうで。それでも、総収益の60%、2,250万ドルを支払った2009年同期に比べると改善しているのだとか。少なくとも2012年末までは黒字化の見通しは立っていないとのこと。

また、ケネディ氏は国際的なライセンシング問題と関連するトピックとして先日スタートしたAmazon Cloud Driveについても触れている。AmazonはCloud Driveに関してライセンシングは不要だとしているが、たとえライセンスが必要だとするレコード産業側の要求を飲んだとしても、国によってはサービスを利用できないだろうという。

「これは非常に解決困難な問題です。[...] インターネットのグローバルな性質を持つのに対して、著作権は依然として個々の国に依存する、単純にその溝があまりにも大きすぎるということなのかもしれません。その問題は、向こう数年といわず、数十年にわたって私たちを阻むものとなるでしょう。」

お金を支払うべきかどうか、払うにしてもどの程度支払うべきかという問題もあるが、それ以前に、許諾を必要とするかどうか、許諾を必要とするにしても、包括的ないし強制的にライセンシングすることはできるのか、という障壁をクリアしないといけない。

放送と通信の融合が叫ばれて久しいけれども、この辺ももう少し柔軟になってくるといいんだけどね。

音楽スタートアップとレコード産業と著作権

「(著作権法の)法定損害賠償規定は、wikipedia:モラルハザードを引き起こしています。訴訟という選択肢があまりに魅力的になってしまいました。音楽産業は、より良いビジネスパートナーを育てるよりも、訴え戦うことにあまりに長い時間を費やしてきました。もちろん、5年前よりは良きビジネスパートナーにはなっているでしょう。10年前は言わずもがなです。しかし、デジタル時代の創成期には、この世界をどう理解すべきかという難問に立ち向かうよりも、訴える方が簡単だったのです。そして今日、メジャーレーベルやインディペンデントレーベルはみな、その難問に立ち向かわざるをえなくなりました。彼らは時間を無駄にしたのです。」

「(デジタル時代における『コピー』の定義)は何度も何度も問われ続ける、非常に根源的な問題です。コンピューター、つまりデジタルな世界は、コピーによって成り立っています。この問題は、これからも私たちを悩ませ続けるでしょう。コンピューター・サイエンス・ガイは、四方から弁護士ににらみをきかされているのですから、ストレスも溜まるというものです。デジタルな世界におけるコピーとは何か、という概念が固まるまで、何をするにしてもギャンブルになってしまいます。」

Pandora CEO: The Complexity Of International Copyright Law Is A Big Problem | paidContent:UK

この点について、インタビュアーをつとめた著作権弁護士アンドリュー・ブリッジズは以下のようにコメントした。

「デジタルな世界では、コピーなくしては何も起こらない、したがって、さまざまな知的活動が著作権の領域に転がり込むことになりました。[...] 紙の書籍であれば、著作権法に煩わされることなく読むことができます。しかし、現在のデジタルな世界においては、何をするにしてもコピーが前提となります。人間の知的活動を、著作権の制限の外に置くことが難しくなっているのです。」

著作権がどのようなかたちで存在するにしても、ビジネスの成否まで保証してくれるような効力はない。たとえ著作権保護が万全であっても、ビジネスとして失敗することもある。

著作権は我々の社会が作り出した道具に過ぎない。時代に合わせて道具を進化させる必要があるが、同時に、その道具の時代に合わせた使い方を確立していかなければならない。新たな時代に即した法解釈や法改正がなされたとしても、過去の慣習を守るためだけのものとしてしまえば、新しい時代に生き残るのは難しいのかもしれない。

Pandoraのようなサービスを、パートナーとして活かして(生かして)いくことが必要になってきているんじゃないかと思う。たぶん、CDのような物理メディアを中核に据えたビジネスは、ますます難しくなっていくんじゃないのかな。

*1:サイマル(Radiko)は除くとして