メモ:CGMの限界と可能性
■ 小寺信良の現象試考:「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり (1/3) - ITmedia +D LifeStyle
■ そこにはクリエイターもコンテンツも存在せず、ただうp主と神動画が存在するのみ - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
上記の記事を読んで思ったことの殴り書きメモ。一気に網羅できるものではないだろうけど、いつから続きを書きたいな。
CGMの向かう先には…
CGMには個々人のリソース*1の集積が必要
コミュニティ内のマジョリティ(集合的により多くのリソースを投資できる人々)がコミュニティ内のメインストリームとなる
"fun(楽しさ)"によってドライブされるストリームは制御し難い
- 高い凝集性は素晴らしいエクスペリエンスを提供する
CGM内のマイノリティは放逐される(個人の消極的選択の結果 and/or マジョリティの排他性)
CGM内のコミュニティが島宇宙化し、最終的にはそのCGM自体が島宇宙となる
- 多様なCGMの存在がコミュニティの多様性を補完する?
作り手-受け手の二項対立モデル
二項対立モデルの解体は、メンバーのリソースを集約することで可能となる
- 個人は全てのコンテンツを確かめることも、全てのエクスペリエンスを体験することもできない
- 陳列棚におけるものには限界がある(そこに向けられる個人のアテンション/アクションに限界がある)
誰が作品を浮かび上がらせる?: プロモーション(targeted) vs レコメンデーション(untargeted)
- 誰がレコメンドする?:私を代表する人たち、私の好きな人たち
レコメンデーションの悲劇
- 純朴なドリフ笑い
- ノイズノイズノイズ…
- スパムスパムスパム…
プロモーションの悲劇
- 狡猾なドリフ笑い
- ノイズノイズノイズ…
- スパムスパムスパム…
これまでの「受け手-受け手」関係(コミュニティ)は?
プロシュマーとコンシュマーは排他的な関係にはない
二項対立モデルが崩壊の危機に瀕しているという勘違い
e.g. 商業アニメが好きで、MADも好き(見るのも作るのも)で、コミュニティも好き
文脈を超えられるか:users generated context
完全に文脈を切り離せるものなど存在しないが…
コミュニティが作り上げる刹那的な「場(空気)」とUGCとの関係
- 縦(継時)、横(共時)いずれも「場」を共有できなければ価値は届かない
- 内輪トークの天才だから、コメディアンの才能を有しているとは限らない
コンテンツの(またはコンテンツが媒介する)価値
- inter-personalな価値
- intra-personalな価値
2つの価値は排他的ではない、が両立しなければならないものでもない
金の話
「場」でマネタイズするにしても、「コンテンツ」でマネタイズするにしても、健全なサイクルが作られなければ持続できない
- 送り手-受け手の二項対立はお金をペイしやすい環境だったのか
- 自らもリソースをペイしている環境にお金をペイできるか
*1:アテンション/アクションも含む