著作権を守るふりして要は既存のビジネスモデルを守りたいだけでしょ?

米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)がフリーカルチャー団体に喧嘩を売ろうと画策しているところをすっぱ抜かれてしまい(その1その2)、なんでこうもわかってないことやるのかねぇと呆れられているご様子。

この件については、id:yomoyomoさんがまとめてくれているので以下に転載。CC BY-NC-SA 2.1 JPでございます。

LWN.net Slashdot など各所で話題になっているが、日本で言えばやはりJASRACが一番近い存在といえる ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers:米国作曲家作詞家出版者協会)が、Creative Commons、Public Knowledge、そして電子フロンティア財団といった団体と戦うための寄付を会員に求めているとのこと。

CC や EFF といったフリーカルチャー団体を敵視するのは、彼らが我々の「著作権(Copyright)」を傷つけるために「コピーレフトCopyleft)」を推進しており、連中は消費者の権利を謳っているが、実際は単に我々の音楽にお金を支払いたくないだけなのだ、と主張している。

なんだかなという感じである。CC ライセンスはコピーレフト的なものだけじゃないし、現行の著作権法に反するものじゃない。 Jamendo Magnatune に登録されている音楽はすべて CC ライセンスだが、別にそれは飽くまでミュージシャン側の選択あってのものなのに。

Creative Commons も早速、「ASCAP が CC のことを誤解して、著作権を傷つけているとか言ってて大変遺憾。CC ライセンスは単純明確に著作権に則ったライセンスなのに」と コメントを出している 。そりゃそうだよね。

ASCAPがフリーカルチャーへの戦争を宣言? - YAMDAS現更新履歴

こないだ書いた ASCAP がフリーカルチャーへの戦争を宣言した話だが、その矛先となった団体の反論も揃った。

反論は予想通りだけど、面白かったのは電子フロンティア財団Rebecca Jeschke が、EFF が提案する Voluntary Collective Licensing (自発的集合ライセンス)の話をしているところ。

自発的集合ライセンスについては 『デジタル音楽の行方』 でも取り上げられている。以下、197-198ページから引用。

自発的集合ライセンス :著作権者が一丸となり、自発的に包括ライセンスを与えることができる。この解決策なら現在の著作権法 を変更する必要はまったくないし、著作権者に価格決定権が残る。この手法は過去七十年間、ラジオや放送に対するライセンスに採用されてきたもので、その管理のために著作権管理団体が設立された。アメリカではASCAP、 BMI 、そしてSESACが設立以来ラジオ局やテレビ局から手数料を徴収し、それを出版社やライターに分配してきた。ヨーロッパでもそれにあたるものが、PPL(イギリス)やGVL(ドイツ)といったアーティストや原盤保有者のためにお金を徴収する対応する団体と協力している。

 レコード会社と音楽出版社は、準拠する法律を何ら変える必要なくそうしたシステムの運用を進められる。二〇〇一年の時点で、不運な「旧」 ナップスターは十億ドルでこの構想を受諾することを申し出たが、拒否された。人気のある Kazaa P2P ネットワークを所有するシャーマン・ネットワーク社と新たに設立されたワシントンD.C.P2P United財団は同様の試みに着手しており、現在ワシントンとブリュッセルの両方で議員の関心を得るべくロビー活動を行なっている。ほぼすべての権利保有者とその出資者がこのライセンス手続きに同意し、その結果妥当なパイの分け前と引き換えにお決まりの訴訟の嵐を禁じ、先送りにする必要があるというのが乗り越えられない問題に思える――これは前代未聞の条件である。驚くことではないが、今のところ巨大エンターテイメント企業は、自発的集合ライセンスのプランの推進にまったく興味を示していない。

というわけで、『デジタル音楽の行方』の著者は自発的集合ライセンスの普及は難しいと考えており、かわりに ウィリアム・フィッシャーの『Promises to Keep』 を理論的基盤とする強制ライセンスを推している。

さて本題に戻ると、ASCAP のフリーカルチャー敵視は妥当ではないと思うわけだが、NMPA(National Music Publishers Association:米国音楽出版者協会)の CEO である David Israelite が講演の中で、ASCAP に加勢する形でフリーカルチャー団体を攻撃している。

さすがにこれには Public Knowledge も What ASCAP Doesn't Understand という反論を寄せているが、フリーカルチャー団体が攻撃対象となるトレンドが続くとしたら残念なことである。

ASCAPがフリーカルチャーへの戦争を宣言続報 - YAMDAS現更新履歴

ASCAPが無知と言うよりは、ミスリードしようとしてる節がぷんぷんするのだが、やり玉に挙げられた側はたまったものではない。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスなんて、現行の著作権法に則ったライセンス、というより著作権がなければそもそも機能すらしない。この件に関するCreative Commons側のコメントもまさにその点を指摘している。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは単純明快なコピーライト・ライセンスです。それ以上でもそれ以下でもありません。CCライセンスは、クリエイターが他の人にある特定の使用を許し、それ以外の使用について保留することを可能にする法律に則ったツールです。著作権がなければ、こうしたツールは機能しません。ある種の使用、たとえば非営利の共有やリミックスを許す形で作品を公表したいというアーティストやレコードレーベルの方は、CCライセンスを適用するかどうか考えるでしょうし、すべての権利を保留しておきたいというアーティストやレーベルの方は、絶対にCCライセンスを使わないでしょう。

Response to ASCAP’s deceptive claims - Creative Commons

ほんとただそれだけのこと。Jamendoのニュースレターでもこの話題を扱っていて、そこにはこう書かれていた。

Jamendoでは数千のアーティストたちが、自身の作品を共有するためにクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを使用しています。彼らミュージシャンたちは、著作権を放棄しているわけではありません。彼らにとって著作権がもっとよく機能するために、著作権という概念を精錬しているのです。

結局のところ、ASCAPの非難めいた行動というのは、著作権を守るためではなくて、著作権を自分たちに都合の良いものとして定義しておきたい、ということではないのかなと。定義というとかたっくるしいけれども、著作権はこれまでのビジネスモデルや慣習に即したものであるべきで、それにそぐわないやり方は、これまでのビジネスモデルや慣習を害しかねないので、ひいては著作権を害するのだ、とかね。

でもこれが間違っているのは明白で、著作権者が自身の作品をどのように使う/使わせるかは、権利者自身の問題であって、それが旧来のビジネスモデルに都合が悪いからといって排除して良いわけはない。それが許されるのであれば、それこそ権利者の裁量を狭めるという意味で、著作権を害するものじゃないのかな。

非難の矛先にクリエイティブ・コモンズを含めたというのは、自由な流通がコントロールされた流通への脅威である、ということなのかもしれない。でもそれって、彼らのビジネスに関わる話ではあるけど、著作権に関わる話じゃないよね。ただ、単純に自分たちのビジネスを守りたい、というだけの話で。

余談

この件に関連して、レッシグ先生がASCAP会長のPaul Williamsにディベートしましょうと呼びかけている。実現したら楽しそうなんだが。

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おもしろい本ですよ、ほんと。

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