次元の壁と年齢の壁:二次ロリ規制は何のために?

なんというか、あらかさまな「2次ロリを規制しますよ宣言」を見かけた。

通常いわゆるマンガ・アニメにおいては、キャラクターの描き方に違法性があるとは見なさないことが多いのですが、マンガの内容そのものが子どもを性虐待することと繋がっているならば、実在の子どもたちがそういった性対象として見られてしまう可能性があるのです。

日本ユニセフ協会・特集 子どもポルノから子どもを守るために

こういった問題は可能性で語るものではないと思うよ。もちろん、児童ポルノは実際の被害者を生み出しているわけで、二次的な可能性について考える必要などなく規制すべきなんだけど、二次ロリの場合はそもそも一次的な被害者が存在しない。そういったものを「可能性」という曖昧なくくりで糾弾しようとしているようにも思える。
もちろん、あまり気持ちのよいものではないのはわかる。ネット上でそういった漫画の画像を見たことはあるけれど、ちょっと嫌な気持ちになったし。ただ、だからといって感情だけでそれを規制してしまえというのは、短絡的過ぎると思うのよね。不快だから排除してしまえというのはよろしくない。互いに摩擦を減らす努力をするというのは理解できなくもないが、相手を排除することで摩擦をなくするというのは、あまりに乱暴だと思う。しかも、主観に頼る可能性を論拠にするなどもってのほか。

こういったものについてわかっているのは、インターネット上に掲載されたマンガによる日本の子どもたちの性的利用が、決して日本国内に限られるものではないということです。インターネット上の画像を、世界中また特に西欧諸国の人々が目にすることになります。日本で作られた子どもの虐待画像が他国の人々によってその性的欲求を満たすために使われているのです。これは、私たちが考えなければならない重要な点です。

この辺は嫌悪感で書かれているのかなぁと思える。「虐待」という言葉を用いることで、バランスの取れた思考を奪おうとしている感もある。もちろん、実在する子供に対する性的行為は虐待と見なされるべきだとは思う。ただ、実在しない対象に対する性的描写を虐待とすることは、その行為に何かしらの意味、それも話し手の唱導したい方向に議論を傾ける意味合いを付随させようとする意図が感じられる。
インターネットを介して、子供の性行為などを描いた画像が世界中に伝わっていったとしても、そこで最も考えるべきことは、それが広がることではなく、それによって実際の被害を受ける子供たちが現れてしまうのかどうか、だろう。
さて、この議論にことさら反論したくなったのはこうした議論の進め方があまりにも汚いから。ここまでは二次元児童ポルノは「多分」有害だ、駆逐すべきだ、としか言っていないのだけれども、これ以降、二次元児童ポルノと、三次元児童ポルノとの明確な区別をつけることなく、同一のものとして扱い始める。こうした仮定だけで決め付けた議論をするというのは、それほど好ましいものではない。というか、私はこういう議論が大嫌いだ*1

子どもポルノをオンラインで見るということと、(実際の子どもへの)接触犯罪を犯すということとの正確な関係ははっきりしていません(中略)しかし、こうした画像を視聴することと犯罪を犯すこととの相互関係についての調査は、いろいろと試みられています。

重要なのは因果関係であり、相関関係ではない。幼児性愛者がその欲求を満たすために児童ポルノに接触するというのは、それほど不思議なことではない。ここで議論し、調査されなければならないのは、児童ポルノに接触したことが、児童への接触犯罪を引き起こすのかどうか、ということであり、この文脈から言えば、二次元児童ポルノへの接触が児童への接触犯罪を引き起こすのか、ということ。

子どもが虐待を受けている画像は何も新しいものではありませんし、インターネット上だけではありません。しかし、インターネットに載せることで、より幅広く多量に流通されることになってしまいました。これが今までと大きく違う点だと思います。虐待画像にアクセスする人全てが皆同じ要因によって動機づけされてしまうというのは単純な議論だと思います。こういった画像は性的空想やマスタベーションを助ける目的のために収集されることが一番多く見られるかと思います。

要約すると、ネットのおかげで幼女のエロ画がキモロリオタどもの間に拡散して、みんなシコシコしてるんだぜ、きんもーっ☆ってことでしょうか。
ただ、「皆同じ要因によって動機づけされてしまう」というのは、よくわからない。全ての人たちが完全に同じ動機づけを持っているとは思えない。二次ロリはOKだけど三次はさすがにひくわ・・・という人もいるし、逆もいるだろう。何が言いたいのかよくわからなかったのだけれど、以下の文章を読んで合点がいった。

実際の子どもを被害に遭わせているのではなく、写真を使っているだけであるというのです。しかし、実はこういった画像こそが性的空想や行動のために利用されているのです。

関係がはっきりしていないと前置きをした割には、ここで「行動のための利用されている」と因果関係を断言してしまっている。なんじゃそりゃ。私は性的空想のためであれば、二次元の児童ポルノは許容してもよいとは思う。抑制効果があるのかどうかはわからないが、促進効果がなければ特に問題はないのではないかと。ただ、実際に児童が存在する写真に関しては根絶する必要があるとは思う。少なくとも写真だからよいではないか、といってもそういった写真の流布が許される状況は、そういった需要に応える人々を生み出すのだから。
また、ここではそういった画像を見せてしまうことが、児童に被害を与える、とも主張されている。なんか漠然とした話だけど、そういった対策を講じたいのであればゾーニングを徹底せよ、とかでもよいと思うんだけどね。なんか、ロリコン憎しで何にでも悪影響を与えるんだ!!といっているようにも思える。

私どもの研究を通して更に見えてきたことは、より若年の子どもたちが自分自身を被害者にしてしまっていることです。携帯電話・インターネットなどを使って自分の画像を流すことによって、長期的にどのような結果を招くのか、どのような搾取をされてしまうのか意識しないまま、自ら被害者となってしまっている子どもたちも沢山いるのです。

上記の議論を通じて、大したものは見えてきてないじゃんとは思うのだけれども、最後に指摘された点については同意。他の人からおだてられたりのせられることで、デジカメや写メなどで自分自身を撮影したものをアップロードしてしまう子供もいる。そうした行為によって、自分自身が思いもよらない被害を被ったりするということは可能性ではなく、実際の問題としてある。そういった被害を減らすためにどうしたらよいのか、インターネットの環境を整えることも、子供自身にそういった行為をさせないよう教育することも考えていかなければならないことだとは思う。
とここまで読んできて思うのは、タイトルにもある「子供の性的搾取を描いたマンガ、アニメ・・・。なぜ問題なのか?」という肝心なところが語られていないということ。単に多分有害だ、という主観だけでレッテルを貼っただけで、中盤からはマンガアニメと実在の子供の児童ポルノとの区別なく児童ポルノの問題として扱っている。意図的だとしたら許されることじゃないけど、意図的でないとしたらあまりにこの問題についての自覚がかけていると思う。
私は、実在する子供が被害を受けないこと、これを第一に考えるべきだと思っている。少なくとも、こうした議論は、自らの嫌悪感を解消したいなどという自己中心的な動機によって語られるべきではない。何でもかんでも不快だというだけでまぜこぜにして「悪いことだ」というレッテルを貼ることが、建設的だとは思えないんだよね。
最後に以前私が聞いたことのある話をしよう。ある熱狂的な二次オタが言った言葉。
「二次ロリ好きが子供に手を出すって?馬鹿いうな。三次の女を好きな奴のほうが、よっぽどリアルロリコンに近いだろ。」
文字通り「次元の違う話」だった。むしろ次元が違いすぎて最初は何を言っているのかすら理解できなかった。もちろん、みんながみんなそうだというわけではないのだろうが、筋金入りの二次オタにとっては年齢のほうがよっぽど連続しているもの、近いものであり、次元の差というのは越えられない壁、遠いものなのだ、ということを痛感した。
そう考えると、我々のように、成人女性であっても実在の女性を愛する人々のほうが、実際の子供への危害を与える可能性は高いのではなかろうか!
・・・まぁ、「主観的な可能性」で語るってのは、これくらいばかげた話だよね、ってこと。

*1:少なくともこうした仮定の上に議論を重ねる場合は、その制限や限界に敏感でなければならないと思っている。しかし、この議論は仮定で話を進めるべきところを、あたかも実証された事実であるかのように扱っている節がある