ニコ動、ニコ生の諸君、(原盤権の切れた)ロックンロールをかけてみないか?

ニコニコ動画JASRACなどの著作権管理事業者と楽曲利用許諾契約を交し、今年に入ってからは海外の楽曲も使用できるようになった(PDF)。とはいえ、毎度のように

海外楽曲のCD音源やプロモーションビデオなどをそのままアップロードする行為は、従来通り認められない(別途、著作隣接権者の許諾が必要)。

洋楽演奏動画もニコ動に JASRAC管理の海外楽曲、利用許諾へ - ITmedia News

との注釈がつけられるように、詞とメロディは使えるけれど、録音されたもの(原盤)は勝手に使ってはいけないですよ、となっている。そのため、「自分で演奏したものであればおk、でも音源を許可無くアップロードするのはダメ」と言われている。とはいえ、原盤権(著作隣接権)にも保護期間(公表の翌年から起算して50年)があり、その期間を過ぎたものであれば許可を必要としない。2010年の今年は1959年以前の原盤の、2011年には1960年以前の楽曲の原盤権が切れる。

著作隣接権の保護期間]
著作隣接権は、演奏が行われた時やCDのマスターテープ(原盤)をつくった時から、50年間保護されます。

::::JASRAC PARK

【追記】
ブクマコメントにて、id:BigHopeClasicさんより著作隣接権の保護期間の注意点について、ご指摘いただいた。ありがとうございます。

ちなみにこれは海外盤の話。国内のレコードは1970年以前に発売されたものは、バックバンド含めそのレコードの参加した全てのアーティストの死後30年経たないと原盤権が消滅しないので注意(ただし2020年一杯で消滅)

ご指摘の通り、1970年以前に公表された国内のレコード作品は、演奏歌唱者の死後30年間、その権利が保護されるため、公表の翌年より起算して50年間を超える場合がある。ただし、最長でも2020年末までとされている。海外の作品については、1970年以前の作品であっても「公表の翌年より起算して50年間」であると考えられているのでご安心を。この違いは、1970年の旧著作権法から新著作権法への全面改正と、当時締結していた国際条約に由来するものなのだが、話が長くなるのでエントリの最後で解説をば。【追記終わり】

もちろん、原盤権は切れても著作権は生きているものも数多くあるので、おいそれとアップロードできるわけではないが、著作権について契約が済んでいるニコ動、ニコ生であれば問題はないだろう。ということで、ガシガシ使ってみてはいかがでしょうか、と。

ということで、原盤権の切れた過去の名曲をご紹介。といっても、あまりに多くて紹介しきれるものではないので、今回は50年代後半のロックンロールの創始者たちをご紹介。

Bill Haley and His Comets / Rock Around The Clock (1954)

ロックンロールの夜明けぜよ!という意味合い*1でしばしば挙げられるビル・ヘイリーの「Rock Around The Clock」。50年代の学級崩壊を描いた55年の映画「暴力教室」のテーマ曲として、大ヒットした。ジョージ・ルーカスの映画「アメリカン・グラフィティ」のオープニングでもフィーチャーされてリバイバル、古き良き時代を思い起こさせるナンバーとも思われがちだが、55年当時はやんちゃ少年たちを熱狂させて社会問題ともなった。良くも悪くも、この曲の大ヒットは世界中に「ロックンロール熱」を感染させた。

Little Richard / Tutti Frutti (1957)

出だしからクライマックス!なくらいにパワフルなリトル・リチャード。「Jenny Jenny」やビートルズもカバーした「Long Tall Sally」などとにかくアグレッシブ。こんなん聴かされてしまったら思わず身体も動いてしまうというもの。ジョン・レノンのカバーアルバム『Rock'n Roll』では、「Ready Teddy」と「Rip It Up」のメドレーも収録されてるので、ご存じの方も少なくないかしら。

Elvis Presley / Jailhouse Rock (1957)


目撃証言と言えば、リトル・グレイかエルヴィスかといわれるほど[要出典]、未だに愛され続けるエルヴィス・プレスリー。この曲の他にも「Heart Break Hotel」、「Hound Dog」、「Love Me Tender」など、エルヴィス黄金期(入隊前)の作品はいずれも50年以上前のもの。以前、エルヴィスからワイルドさを抜いたら、及川光博になるんじゃないかと話したが、誰も理解してくれなかったという苦い過去を思い出した。今は反省している

Chuck Berry / Johnny B. Goode (1958)


この曲は、未来から来たマーティなる青年によって伝えられたとされる*2チャック・ベリーといえば、ギターリフとど派手なアクション。マーティのあれもあながちウソじゃないんだと知ったときはしびれたもんです。80を超えた今でも動きまくってるとかなんとか。「Roll Over Beethoven」(1956)、「Too Much Monkey Business」(1956)、「Rock and Roll Music」(1957)など歌い継がれるたくさんの名曲を残している。

Bo Diddley / Bo Diddley (1955)


ボ・ディドリーを知らずとも、この特徴的なリズムを覚えている人は多いんじゃないだろうかか。ヒット曲にはそれほど恵まれなかったものの、ローリング・ストーンズなど数多くの後進に影響を与えたロックンロールの立役者の一人。『エドサリヴァン・ショー』に初めて黒人アーティストとして出演するも、指定された曲を演奏しなかったために出禁になったというやんちゃものである。ギターの四角さに定評がある。

Eddie Cochran / Summertime Blues (1958)


エルヴィス、ジーン・ヴィンセントらと共に、50'sロカビリーを代表するエディ・コクラン。イントロの印象的なフレーズに思わず胸熱。この「Summertime Blues」は、ザ・フーRCサクセションなど洋邦問わずカバーされている。エディのキャリアはわずか2枚のアルバム残すのみではあるが、「C'mon Everybody」(1958)、「Twenty Flight Rock」(1957)、「Somethin' Else」(1958)など数多くの名曲を残している。

Jerry Lee Lewis / Great Balls of Fire (1957)


今でこそギターをぶっ壊したり火をつけたりは珍しくもないけれど、演奏中、ピアノに火をつけたりぶっ壊したりなんて奴はまずお目にかかれない。そいつを50年代にやらかしたのが、The Killerことジェリー・リー・ルイス。疾走感、というよりは、暴走機関車のごとくピアノをかき鳴らす様はまさに火の玉*3ロック。彼の破天荒っぷりは音楽のみならず、13歳のロリっ娘(又従妹)と結婚して顰蹙を買い、さらに重婚が発覚して干されるなど、私生活でも火の玉っぷりを発揮。そんな中でも、ロックンロール・ゴッドファーザーのラジオDJアラン・フリードは彼を擁護し、彼の曲をかけつづけたのだとか。彼の伝記映画『グレート・ボールズ・オブ・ファイア』もその辺りの転落が描かれていてなかなか面白かった。ラストの台詞がかっこよかったのを今でも覚えている。ただ、台詞そのものは忘れてしまったが*4

Buddy Holly & The Crickets / That'll Be The Day (1957)

黒縁メガネ・ロック・ミュージシャンの開祖であり、その遺志はエルヴィス・コステロWeezerのリーヴァスらに受け継がれている。メガネ萌え女子は彼に足を向けては寝られないだろう。お聞きの通り、ビートルズをはじめとするマージー・ビート・サウンドに多大なる影響を与え、ギター、ベース、ドラム編成のバンドスタイルを広めたという点だけでも、彼らが現代音楽に残した功績は計りしれない。他に代表曲は、「Rave On」(1958)、「Peggy Sue」(1957)など。「That'll Be The Day」のB面「Rock around with Ollie Vee」もかっこいい。

Ritchie Valens / La Bamba (1959)

北島ファミリーにいてもおかしくない、実に「大人びた」風貌のリッチー・ヴァレンスは、齢17歳にして「La Bamba」を大ヒットさせる。元々はメキシコで古くから歌われていた曲を、ロックンロール・アレンジしたもので、ラテンのリズムが良い感じにマッチ。米国初のスペイン語ヒット曲らしい。「マカレナ」が話題にあがったら、豆知識として披露しましょう。

The Big Bopper / Chantilly Lace (1959)

北島ファミリーからのもう一人の刺客。テキサスの人気DJからロックンロール界のおもしろ担当へと転身を遂げる。ベシャリのうまい面白いおっさんというだけではなくソングライターとしても、この「Chantilly Lace」ももちろんのこと、Johnny Prestonのヒット曲「Running Bear」も手がけている。

Everly Brothers / All I Have To Do Is Dream (1958)

美しいハーモニーが特徴のギターデュオといえば…、サイモン&ガーファンクルですが、そのスタイルに多大なる影響を与えたであろうエヴァリー・ブラザース。彼らの美しいヴォーカルワークは、ビートルズビーチボーイズホリーズらさまざまなアーティストに受け継がれた。「Pretty Woman」で知られるロイ・オービソン作曲の「Claudette」もイカス。70年代に入り一時解散、原因は兄弟喧嘩だとか。再結成には10年の時間を要したが、どこぞの馬鹿兄弟もそれくらいしたら仲直りしてもよいのではなかろうか。

Cliff Richard & The Shadows / Dynamite (1959)

アメリカのロックンロールは大西洋を渡り、イギリスにも伝わる。英ミュージックシーンを温めておきました、ダイナマイトで*5。とばかりに、50年代後半から60年代前半にかけて大成功を収める。しかし、彼が呼び水となったであろうマージービート勢に押され失速、60年代後半から長らく低迷が続く。それでも、華麗にカムバックして未だにアルバム出し続けてるんだから、御大、さすがでサー。

終わりに

疲れた…。かなり有名な曲を選んで紹介してきたが、ロックンロールだけでもまだまだ紹介しきれない。他にも数多くのアーティストがたくさんの素晴らしい曲を残しているので、是非とも探して、そしてニコ動に投稿するビデオに使ったり、ニコ生でかけたりBGMにしたりして欲しいなと。「Oldies But Goodies」、あまり懐古的にはなりたくないけど、ほとんど聴いたことのない人には、新鮮な驚きもあるのかなと思ったりする。今聴いてる今の曲だって、50年も経てばオールディーズ、時代なんて関係ないのかもね。

今回のエントリについて、何か壮大な考え違いをしていたら、是非ともご指摘いただければ。権利関係の指摘、解説の間違いの指摘、いずれもお待ちしております。

次回は、Doo Wopの名曲選(ほとんど私の好み)をお届けしたい。解説は大幅に省略の方向で…。ということで次回予告。タモリ倶楽部でお馴染みのアレ。


追記:国内作品の原盤権・実演家の権利の保護期間

著作権法下でリリースされた国内のレコードについては、レコードの著作権が発行後30年間、演奏歌唱の著作権が著作者の死後30年間保護されていた。

著作権法は1970年に全面改正されたのだが、1970年の改正以前に公表されたレコードの(今で言うところの)著作隣接権については、現行著作権法または旧著作権法にて定められた保護期間のうち、長い方をとるとした。ただし、その保護期間は最長でも、改正された1970年から50年後の2020年末をもって満了する。演奏歌唱家が長生きすれば、1970年以前の作品でも2020年まで(つまり50+α年)、保護期間は存続することもありうる、と。なので、国内作品の原盤権切れの判断はけっこう難しそう。

ただ、これはほとんど全ての海外作品には適用されないと考えられている。旧法下では海外作品の著作権保護について「著作権保護ニ関シ条約ニ規定ナキ場合ニハ帝国ニ於テ始メテ其ノ著作物ヲ発行シタル者ニ限リ本法ノ保護ヲ享有ス」と定めており、国際条約で規定されていない権利については、日本で初めて発行された著作物のみを国内法における保護対象としていた。つまり、今回紹介したような海外で最初にリリースされた作品については、国際条約の規定に従うということ。

改正当時、日本が加盟していた著作権条約は、ベルヌ条約*6万国著作権条約。これらを考慮しても、海外で発行されたレコード、演奏歌唱の著作権を旧法下で保護すべき根拠は、「アルゼンチンのレコード、メキシコの実演」以外にはない。よって、ほとんど全ての海外作品に、旧法のレコード、演奏歌唱の権利の保護期間は適用されないことになる。

詳しくはこちらをご覧ださいまし。
著作権・著作隣接権の保護期間
著作権法附則第十五条第二項の問題 - 著作権切れ音楽データベース - The Public Domain Music Database

1970年の著作権法改正後、レコード保護条約、ローマ条約に加盟し、1996年の「著作隣接権保護条約対象の遡及拡大」を経て、海外作品の著作隣接権(原盤権(レコード製作者の権利)や実演家の権利)は50年前まで遡って保護されることになった。現行法では、著作隣接権は、実演後、レコード発行後50年間とされているので、死後○年ではないですよ。

*1:ロックンロール自体は、それ以前にもあったし、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツも1953年に「Crazy Man, Crazy」をヒットさせている。

*2:もちろん冗談ですよ。

*3:メラゾーマ

*4:「地獄に堕ちても…」云々とか言ってたような

*5:'Dynamite'は#1シングルのB面だったりもするけども

*6:ローマ改正ベルヌ条約